コバン師 出立
こんばんは、チェスです。
今日の東京は、快適な気温と爽やかな青空の一日でした。
本日正午を回り、会社のチャイムが鳴り、それでは昼食に行こうかと立ち上がったところで、小生の携帯電話が振動しました。
電話は、小生の実家の鳥越の母親からで、「今日コバンが死んだ」と知らせるものでした。
日曜日の記事にも書きましたが、茶トラ猫のコバンは、17年前の1992年4月17日に、当時会社に居ついていた2匹の猫のうちの一匹を小生が貰い受け、いや、誰かが飼っていたのではないから、「貰い受け」はおかしいな、拾って、家で飼い始めた猫です。
家の人間に対しては大変な甘えん坊で、人のひざの上に乗っては昼寝をするのが好きでした。
が、他の人に対しては人見知りが激しく、来客があるとどこかへ逃げていってしまうのが常でした。
小生が結婚して鳥越の家を離れた昨年あたりから、そろそろ弱くなってきたかな?と思われる兆候が見られたのですが、急に食欲が無くなって衰弱してしまったのは先月になってから。ま、それでも鳥越に来て17年間暮らしてくれた結果の大往生といっても良いでしょう。
今日はたまたま弟の仕事が休みであったので、コバン師を両国の回向院に葬ったそうです。
何年か前に、チェス犬が死んだ時もここに葬りましたので、久しぶりの再会ということになるでしょう。まぁ、あの2匹はそう仲良しではなかったですがね。
心からお悔やみ申し上げます。
17歳と言ったら、人間の90歳位に値するのでは?
猫ちゃんもストレスなどがあると、短命になると聞きましたが
きっと大事に可愛がられて育ったのでしょうね。
そして大切に葬ってもらえて
コバンちゃん、幸せな一生だったと思います。
投稿: フリッパー | 2009.04.23 22:24
命あるものは、いつかそれが燃え尽きる日が来るのですね。
それが、世の常というものでしょうがなかなか辛いものです。
投稿: AA | 2009.04.24 00:03
>フリッパーさん
小生の実家の猫に過分のお悔やみを頂戴し、恐縮です。
17年前、会社の中庭でコバン師と初めて出会ったことを思い出しました。普通ノラ猫なんていうのは、人間が寄っていくと素早く逃げてしまうもの、と思っていたのですが、彼はじっとしていて触らせてくれました。以来、大げさに言えば「猫とは人間には慣れずに自分勝手気儘に生きている動物」という固定観念を覆してくれました。
投稿: チェス | 2009.04.24 14:56
>AAさん
そうですねぇ。
「会うは別れの始め」なんて言いますが、不老不死ということはありえない以上、いかなる生き物も必ず死別ということからは避けられません。それは人間も同じですけれども。
投稿: チェス | 2009.04.24 14:59