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シュテファン寺院~モーツァルト・ハウス

 こんばんは、チェスです。

 楽しかったハネムーンも、そろそろ終わりが見えてきてしまいました。何とも名残惜しいです。

 ウィーン3日目(5月1日)。朝から曇っていて、ちょっと寒い感じです。
 この日はホテルの近くにありながら、まだ行っていなかったシュテファン寺院からウィーン観光を始めます。
 シュテファン寺院は、ウィーンの中心であるリンク内側(ウィーン1区)の更にほぼ中心に位置しています。相当の高さのある南塔は目立ちます。この南塔と同じ高さで建設される予定だった北塔は、財政難から途中で終わってしまったとか?
 中はかなり広く、壮麗な寺院でした。こちらのカトリックのお寺は共通して、お参りに来た方はお布施に相当するお金を出して、火を点けた蝋燭を供える、ということをしているようだと思われました。

 このシュテファン寺院のすぐそばに、モーツァルト・ハウスという建物があります。
 モーツァルトはウィーンでかなり引っ越しをしているらしいのですが、この建物のあった場所では、昨日聴いた「フィガロの結婚」を始め、たくさんの名作を書いているそうで、現在では博物館になっています。建物は最近大改装をされた様で、展示は機能的に綺麗になされていました。日本語のオーディオガイドも貸してくれましたので、興味深く展示を見ることができました。

 モーツァルト・ハウスを出て、シュテファン・プラッツ(シュテファン広場)に出ていたテントの出店でパンとお水を買って昼食を食べ、カミさんの希望で近くにあるというカプツィーナー教会へ行きました。ここは、地下が皇帝の納骨所になっており、パプスブルグ家代々の皇帝などの棺が納められています。

 翌日はもう帰国ですから、そろそろお土産を調達しないといけない、ということで、繁華街にあるチョコレート屋さんでモーツァルトのチョコレートをたくさん買って、一旦ホテルに戻りました。
 午後はシェーンブルン宮殿を見に行く予定です。

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マロニエゲートにて

 こんばんは、チェスです。

 今週の東京は、冷房が欲しい程の暑さかと思ったら、最高気温が20℃に届かないという日に戻るという状況で、体調維持が大変な毎日です。みなさんの街ではどんな感じですか?

 週末の金曜日、ウチのカミさんが以前勤務していた某商社での元同僚の皆さんが、カミさんの結婚祝い会を催してくれる、ということになり、「旦那さん=小生のことです=もよろしかったら是非どうぞ!」とお誘いいただいたので、カミさんの過去を知ることができる良いチャンス、とばかりに喜んで出席させてもらうことにしました。

 会場は、暫く前に有楽町にオープンしたショッピングビル「マロニエゲート」の上層階に入っているレストランです。実はこの間、有楽町ビックカメラに買い物に来たついでに、このビルの「東急ハンズ」にも物を探しに来ており、ですから良くわかっている会場です。

 マロニエゲート、それ自身は細長いビルという感じで、そんなに大きいとは見えません。
 しかしさすがに場所柄でしょうか。テナントで入っている各店舗は、みんなおしゃれで、センスの良さを感じます。
 今日は11階に入っているシンガポール地元料理というお店でやっていただいたのですが、人気のお店で中々予約が取れないのだとか。幹事役をしていただいた方には本当に感謝してます。

 カミさんは、同僚に恵まれて仕事をしていたのだなぁとつくづく思いましたよ。皆様、本当に暖かい方々でした。

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フィガロの結婚

 こんばんは、チェスです。

 このクロアチア~オーストリアのウィーン旅行では、普通の海外旅行より余計な荷物を持って行かざるを得ませんでした。
 その理由が、この日の夜に予定していた、シュターツオーパー=国立歌劇場でのオペラ鑑賞にあったのです。
 ここでのオペラ鑑賞は、最も安い立ち見席で雰囲気だけを味わうというなら兎も角、お値段の高い良い席で見るのであれば、相応の服装で劇場に入るべし、と出発前から各情報源は伝えていました。

 頑張って良い席~だから相当にお値段の方も張りましたが~を確保しておいた我々も、ですからこの日の夜だけのために、服や靴を持ち歩かねばならなかったという事なのです。

 で、ホテルに帰ると、その仕度を始めました。残念ながらスーツはいささか皺ができてしまい、革靴も形が崩れてしまっていました。
 しかし、今更仕方ありませんね。ま、到着直後にホテルに頼んでプレスしてもらうというテもあったかもしれませんが、最早時間がありません。

 タイを締めて、スーツを着て、ちょっと磨いた革靴をはいて、シュターツオーパーへ出発です。

 本日の演目は、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト作の「フィガロの結婚」

 原作の内容は喜劇であって、モーツァルトのオペラの中でも人気があり、更には有名なアリアもたくさんある、そのため言葉の意味がわからなくてもそれなりに楽しめる演目と言えると思います。

 シュターツオーパーへ着くと、まずはチケットを入手せねばなりません。
 日本からの手配により既にチケット代金は振り込み済にはなっていますが、何かの手違いでオーバーブッキングとか、そんな不吉なことも考えてしまいます。
 当日券売り場の窓口に並び、順番が来たら、「予約OK」の内容が書かれているEメールのプリントアウトを出して見せ、チケットを受け取ります。どうやら無事にチケットと交換できました。

 予約できた席は、日本のコンサートホールでは見ることは無い「ロージェ」という個室というかボックス席です。ホールの外側の階段などから、各ロージェにはそれぞれ番号の書かれたドアがあって、そのドアを開けて中に入りますと、まず小さなコート掛けや鏡のついたスペースがあり、コートなどはここに掛けることができます。
 座席は、3人×3列で、1部屋に9人が定員の様です。が、2列目、3列目になってしまうと、下手をすると前の人の頭ばかりを見て過ごすということになりかねません。一応2列目、3列目の椅子はそれぞれに少し高くはなっていて、見えやすくする工夫はされてはいましたが。
 でも我々の席は1列目でしたので、舞台をほぼ正面から見ることができる、最上と思える席でした。

 小生はクラシックは好きなのですが、日本でもオペラを生で観るということは殆どなく、専らオーケストラのコンサート派なのです。ですので、「フィガロの結婚」の全曲を通して、しかも生の舞台を観ることは当然初めてですから、各歌手の力量とか舞台の演出とか、全く論評はできませんが、男の役にもかかわらずメゾ・ソプラノが歌うケルビーノという役(こういうのを「ズボン役」というそうです。)をやった若いメゾ・ソプラノに関しては、実に伸び伸びと素晴らしい歌声を聴かせてくれました。実際彼女の人気は高い様で、終演後の一人づつのカーテン・コールでも、一際高い拍手が寄せられていました。

 オペラが終わると既に11時近くであり、その辺のレストランは閉まってしまい、さぁ晩御飯はどうしましょう?ということになりましたが、仕方なくホテルに帰り、未だ開いていたホテルのバーでお酒にサンドイッチで何とか凌ぎました。

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ハイゲリンシュタット

 こんばんは、チェスです。

 元々、我々がウィーンで宿泊していたホテルは、ウィーンの観光としては外すことができないとされる「王宮」のすぐそばに位置していたのですが、それはいわば王宮の裏手であって、正面玄関側は広い公園に面していました。で、そちら側から入って、かつてのオーストリア・ハンガリー二重帝国を支配したハプスブルグ王家の膨大な銀食器のコレクション、「シシー」と言われたエリザベート王妃の生涯を紹介展示している「シシー・ミュージアム」そして皇帝や皇后が使っていた数々の部屋を見学しました。便利なことに日本語のオーディオガイドも用意されていて、展示内容は良くわかったのですが、正直言って少し消化不良というか、人が多くて疲れてしまいました。

 昼ごはんは、オペラ座交差点付近に見える「サブウェイ」(日本にもお店があるサンドイッチのチェーン)に入って、大きなサンドイッチを食べてしまって終わりにしました。

 午後は、できれば行ってみたいとカミさんに言っていた「ハイゲリンシュタット」へ行ってくれることになりました。

 現在では、ここはウィーン郊外の住宅地という感じなのですが、かつては充分な「田舎」であって、聴力に重大な障害が起きて、やがては完全に聴こえなくなってしまう、という音楽家にとっては致命的とも言える問題を抱えたベートーヴェンが、弟たちに宛てた遺書を書いた場所、とされています。

 ウィーンの中心地からハイゲリンシュタットへ行くには、いくつかの方法があるようですが、目の前を何本ものS-バーン(トラム)が走っている状況では、必要なナンバーのトラムに乗っていくのが最も易しい様です。で、ガイドブックに指定されていた「D」の電車がやってきたので、カミさんを促して直ぐに乗りました。
 が、この電車、ちょっと走ったと思ったら、どうも終点になってしまったらしく、乗客が全員降りてしまいました。我々2人、さすがにおかしいと思ってドアを開けて降り、反対側にいた運転手氏に「ハイゲリンシュタットへ行きたいんだけど?」と訊いてみると、「おお、オレが運転するこの電車がそこへ行くよ、乗って待ってナ」と言います。
 要するに、「D」だけを見て「行き先」を確認せずに乗ってしまったので、反対方向の電車に乗ってしまったみたいです。ま、反対方向でも「直ぐに終点」で良かったです。無駄な時間の被害は少なくてすみましたが、こいつは完全に小生のミステイクでした。

 さて、気を取り直して電車でハイゲリンシュタットへ。

 それほど時間はかからずに(たぶん30分も乗っていなかったと思う)終点の「ベートーヴェンガング」という停留所に着きました。どうも、それほど人気のある観光地ではなさそうで、人影もまばらで、我々の他にはゆっくりと散歩をする老夫婦がいるくらい。
 この「ベートーヴェンの小道」という、特になんの変哲も無い小道が、ベートーヴェンを特に知らなくても、このメロディーは知っているであろう第6交響曲「田園」の構想を得たという、その小道なのです。あの「楽聖・ベートーヴェン」が散歩をしたと同じ道を、今、歩いている。なんという感動!頭の中では当然の事ながら、パストラール・シンフォニーが流れています。
 残念ながら、ウチのカミさんにはこの感動はわかってもらえなかった模様ですが、でもいいのです。
 ここに連れて来てもらったことだけでも、充分に満足です。
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 その後、有名な「ハイゲリンシュタットの遺書」を書いたとされる、小さな記念館「ベートーヴェンハウス」を探しましたが、これが別に看板が出ているわけでもないので、結構苦労しました。
 中の展示物には、当然その遺書もありましたが、殆どの単語が理解できないのが悲しい。

 帰りは、37番のトラムでウィーンの中心部に戻り、カミさんの化粧水を仕入れてから、一度ホテルに帰りました。

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ビッテ!

 こんばんは、チェスです。

 ウィーン2日目(4月30日)、実質的にはこの日からがウィーン観光です。
 夜のオペラ鑑賞だけがはっきりした予定であって、後はいきあたりばったりの適当なウィーン観光です。
 朝、ホテルを出ると、何はさておいても「i」のマークのついている「ツーリスト・インフォメーション」へ行きます。カミさんと相談の上、ウィーン市内の公共交通機関が3日間乗り放題になり、その上有名どころの博物館などの入場料の割引サーヴィスもついてくる、という「ウィーンカード」を買うことにしました。この日から3日間有効であれば、帰国時まで使えて好都合です。

 ただ、ちょっと気掛かりなことがありました。この日の翌日「5月1日」は、日本では「メーデー」という労働者のお祭りの日ですが、こちらは祭日で休日なんです。博物館や美術館はお休みになってしまうところもありそう。
 で、英会話堪能なカミさんが、インフォメーションで5月1日にお休みになる施設のリストをプリントアウトしてもらう、ということをしていました。

 それを待っている間、小生もただボンヤリしているだけではつまらない。
 カミさんに全面的に頼らず、自力でもちょっと何とかしてやろうじゃないの、これでもドイツ語は一応第2外国語だったのだ(20年以上前の話だけど)。
 と、カウンターの端っこで奮闘しているらしいカミさんを横目で見ながら、順番の列に並ぶと、カウンターの内側では、応対していた人とは別の新たな女性が現われて、小生の方を向いて「ビッテ!」とおっしゃる。(「ビッタ!」にも聞こえる・語尾は「テ」と「タ」の中間くらい)

 「ビッテ」というのは、ドイツ語を少しでも勉強した人なら、どなたでも覚えているはず。英語の「プリーズ」に相当する便利な言葉で、ひょっとするとドイツ語会話では一番使用頻度が高いかも知れません。「ありがとう」が「ダンケ」で、これもしょっちゅう使う。だから「ダンケ」と言われたら「ビッテ!」と返しておけば、一応最低限度のコミュニケーションが取れるという寸法です。

 で、カウンターのその女性がいる所へ歩み寄って、「ウィーンの日本語のガイドマップが欲しいのですが?」と(これは英語で)頼むと、女性振り向いて即座に出してくれる。「ダンケ!」と礼を言えば「ビッテ!」と返ってくる。こんなふうに使うんですね。

 こいつが中々詳細なガイドマップで、開いて読んでいると、用件を済ませたカミさんがやってくる。「日本語のガイドマップなんてあるんだ!」と感心した様子なので、頼りっきり亭主も少しは役に立つところを見せたと思う。

 で、夕方行くシュターツオーパー=国立歌劇場を、明るいうちに見ておきたい、と行って歩いて見に行き、さてその後はどうしよう?となったので、折角ウィーンカードを買ったのだから、電車に乗って1周してみよう、と提案してみると、何故かカミさん、そんなのは時間の無駄だからイヤだ、と強行に反対するのですね。ここで喧嘩になりかけたのですが、カミさんは「電車」のことを地下鉄と勘違いしたのが判明しました。ウィーンの地下鉄は昨日もちょっと乗りましたが「U-バーン」と言います。一方路面電車の方は「S-バーン」。又はザグレブでも言っていた様に「トラム」と言います。トラムの1番と2番がウィーン1区の外周にあたる「リンク通り」を山手線の如くに環状運転しているので、これに乗ってリンク通りを1周すれば、ウィーン中心部の様子が良くわかるというものです。

 勘違いが解けて、無事にトラム1番に乗って、リンクの内側の様子を眺めて楽しみます。未だ1周はしていなかったけれど、凄く見事な石造りの建築物があり、思わず「下りてみようか?」となって次の停留所で下車しました。ドアの前でボーッと待っている大男がいたので、脇から小生が手を出して「開く」ボタンを押しました。地下鉄もそうですが、こっちの電車は「半自動」で開けるのはボタンを押さないと開きません。大男に「ダンケ」と言われて「ビッテ」と返して、先ほどの目を引いた建物に向かうと、その建物は国会議事堂であることがわかりました。
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 おのぼりさんよろしく、国会議事堂前で写真を撮っていると、そろそろお昼時分になっていました。


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ラドラー

 こんばんは、チェスです。

 昨日の記事なんですが、翌日掲載したものを自分で読んでみてびっくりしました。
 途中から誤字脱字、というかへろへろのよれよれになっていて、要するに眠くて眠くて仕方なかったのですが、記事を書いている途中でベッドに入る訳にはいきませんから、強引に書いたら酷いシロモノになっていました。本日慌てて修正いたしましたが、リーダーの皆様にはあんなものをお目にかけてしまって、申し訳ございませんでした。

 昨日の記事は、実は尻切れトンボでして、ウィーン初日の夕食に、成り行きで見つけたレストランに入ったところで終わっていますよね。

 この日カミさんは、ウィーン名物の「ウィーナーシュニッツェル」を、小生は何の魚かわかりませんでしたが、魚のフライを注文しました。それぞれにポテトとたまねぎのサラダというか、そんなのが付いていました。
 カミさんの一皿は、肉を薄く叩いて伸ばしたもののカツレツなんですが、結構な大きさのカツが2枚お皿に載っていて、その分量に閉口していました。小生も助っ人として少し食べましたけど、お肉は確かに薄いので、何とかなりそうにも思えますが、あれだけ面積の大きなカツだと衣の分量がバカになりません。「もうお腹パンパン!」とうんざりしていました。

 話はちょっと前後してしまいますが。

 この旅行中、夕食時の飲み物は、最初にカミさんは大抵、大好きなビールを飲み、そのうちに赤ワインに変わることが多いです。小生はアルコールに極度に弱いので、ホテルの部屋など直ぐに寝られる環境以外は用心して何かのソフトドリンクを飲んでいたのですが、クロアチアは適当なソフトドリンクが無く、注文に苦労しました。(そのうちに「ビターレモン」一本槍になってしまった。)

 が、ここ、オーストリアのウィーンでは、小生にとって格好の飲み物がある筈でした。


 そいつが「ラドラー(Radler)」という飲み物です。

 この日も例によってメニューを眺めて、飲み物の選択に苦労していたのですが、これを思い出して、ミスターはどうする?と傍に立っていたウェイター氏に向かって「そうだな、ラドラー!」と言うと、これがあっさり通じたではありませんか。やれうれしや!

 ラドラーというのは、簡単に言ってしまえばつまりビールのカクテルです。
 ビールをレモネードで割った飲み物で、ビールの苦味があまり好きではなく、アルコールにも弱い甘党の小生の様な人間のためにあるような飲み物と言ってもいいでしょう。
 ビールを割っているのでアルコール度数は低く、レモンと蜂蜜がビールの苦味を弱めて、爽やかな味わいにしています。(の筈)

 直ぐにやってきた普通のビール(カミさん用)とラドラー(小生用)で、無事のウィーン到着を祝って乾杯しましたが、このラドラー、期待に違わぬ美味しさです。レモン味ですっきりしていて、と言ってビールの味がしないわけでもない。ビールはあまり好きではない小生でも、ぐいぐい飲めます。
 尤も、半分はビールなのですから、調子に乗って飲んでいると、結局は酔っ払いますから、用心はしていました。

 帰国後に調べると、ラドラーというのは「自転車乗り」のことで、自転車で荷物を配達する人が仕事で汗をかいたあと、ビールをレモネードで割ったこれを好んで飲んだので、ラドラーという名前になったとか?

 日本のお店ではお目にかかったことはないのですが、カクテルとして置いてくれればいいのに、と願う次第です。そこらのお店では焼酎を割るためのレモンソーダを売っていますよね。アレでビールを割れば、概ね似た様な味を再現できました。

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ウィーンの初日

 こんばんは、チェスです。

 オーストリア航空のボーイング737は、定刻にウィーン国際空港に到着しました。

 この空港は、中・東欧へのハブ空港の役割を果たしていて、ターミナルビルの規模もザグレブ国際空港とは比べ物になりません。何はともあれ、我々の荷物をベルトコンベアから引き上げないといけませんが、それ程の時間はかかりませんでした。
 空港からウィーン市内へは、いくつかのルートがありますが、我々は無難なところでリムジンバスで行くことにしました。このリムジンバスはウィーンの鉄道ターミナルへ行く奴と、市内中心部へ行く奴とがあったのですが、市内中心部へ行く奴に乗って、そこからホテルへはタクシーを使えばいいだろう、と予め相談しておきました。

 丁度、1日の夕方で、道路が渋滞する時間帯だったらしく、ウィーン市内に入ると道路が渋滞してしまいましたが、予想より少し時間がかかった程度でシュウェーデンプラッツに着きました。
 ここでタクシーを拾うつもりでしたが、タクシー乗り場がありません。あちこち見渡しましたが、タクシー乗り場らしきものが見つからなかったので、そこへ丁度走ってきたタクシーを止めて乗りました。
 ウィーンでは「ラディソン SAS スタイルホテル」というホテルに予約しておりましたが、似たような名前のホテルがあるのです。で、スタイルホテルに間違いないように、ガイドブックのホテル紹介ページを運ちゃんに見せて慎重を期そうと考えたのでありました。にもかかわらずこの運ちゃん、似たような名前のホテルへ行ってしまってがっくりです。

 スタイルホテルにつくと、ともあれこの日の晩御飯を取らないといけませんが、外に出歩くのもかったるい思いをしたため、なるだけ近いとこで夕食をとることにいたしました。
 ウィーンには地下鉄が何路線か走っているのですが、最寄駅から隣の「シュテファンプラッツ」=「シュテファン広場」とでも言うのでしょう。そこで降りて、暫し探してその時の成り行きでレストランに入りました。

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さよならクロアチア-9日目

 こんばんは、チェスです。

 楽しかったクロアチア旅行も、ついに最終日を迎えました。この日午後3時過ぎの飛行機でウィーンに戻ります。
 ホテルで朝食を摂り、一旦チェックアウトをしてから、大きな荷物はフロントに預けて、ドブロヴニク最後の観光に出かけました。
 ドブロヴニクの旧市街を一望できるというスルジ山に登ってみよう!と元気なウチのカミさんが言うものですから、なんだか筋肉痛になりそうな?とは思ったものの、ハネムーンからあまり軟弱なところを見せるのもナンだ、と思って「それなら登ろうか!」と決行です。

 このスルジ山は標高412m。大した山ではないのですが、山頂からの景色が良いため、かつては山頂へ一気に登るロープウェイがあったそうなんです。ところが1991年からのクロアチア独立紛争の時に、ユーゴスラヴィア連邦軍の攻撃でロープウェイが破壊されてしまって、以後再建されずにそのままのため、現在山頂へ登るには、頑張って徒歩で登るか、回り道にはなりますが車で登るかしか方法がありません。
 我々は当然徒歩を選び、ガイドブックの地図を頼りに、このあたりから登っていけばいいだろう、と見当をつけて行ったのですが、どうも道に迷ってしまって、山登りになりません。困ったあげく、ドブロヴニク郵便局の配達人を捕まえて、「スルジ山へはどこから行けばいいのか?」と聞く羽目になりました。この方は大変親切で、道を教えてくれたあげくに小生を捕まえて「君はスポーツマンだから、楽勝だよ~」なんていうもので、参りました。

 おかげでスルジ山へ登ることができましたが、登っている途中で、カミさんが腰に巻いていた筈のカーディガンが無くなっていることに気が付きました。どうも途中で落ちたのに気が付かなかったみたいです。山に登るに従って風が強くなってきたので、カーディガンは飛ばされてしまったかもしれないね~などと言っていたのですが、幸い帰りの道で拾うことができました。

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 景色そのものは、さすがに素晴らしいものでした。

 さて、スルジ山を下山してホテルアルゼンティーナに戻り、ドブロヴニク空港へ行くためのタクシーを呼んでもらって、荷物を出して待っていると、さして待つほどもなくタクシーが来たので、ドブロヴニク空港へと向かいました。タクシーでは約20分程。クロアチア最南端に近い場所に国際空港になっているドブロヴニク空港があります。お天気は下り坂の様で、ポツポツと雨が降り出していました。

 空港にある銀行の窓口で、クロアチアクーナをユーロに再両替してもらったときに、カミさんがとんでもないことに気が付きました。なんと、ホテルにチェックイン時に預けたパスポートを返してもらっていなかったのです。(ホテルのフロントがボンクラなのですが、我々も大事なパスポートを返してくれ!と言わなかったのは同様にボンクラでありましょう。)パスポートが無ければ一大事です。飛行機の時間は気になりましたが、兎にも角にもパスポートを取り戻さなくてはなりません。空港の到着口に待っていたタクシーを捕まえて、これこれだと説明し(こういう込み入った話はカミさんでないと無理)超特急でホテルへ戻ってもらい、パスポートを取り返してまた空港へとんぼ帰りです。この時のタクシーの運ちゃんの運転は、本当に怖かったです。何せ殆どブラインドコーナーなのにもかかわらず、強引な追い越しをかけるので、対向車が来ないかと命が縮まる思いがしました。

 しかし、飛行機の時間に間に合わせるための時間を、カミさんは必要以上に大幅に余裕を持たせていたことが幸いし、飛行機には余裕で間に合うことができました。
 オーストリア航空のボーイング737小型ジェット機は1時間ちょっとでウィーンに着きますが、この飛行機でも軽食のサーヴィスがありました。

 さようなら、クロアチア。またやってくる機会があるかどうかわかりませんが、たくさんの思い出と、最後にとんでもない出来事と共にクロアチアを去りました。

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ドブロヴニク-8日目

 こんばんは、チェスです。

 カミさんが、ここで「赤い珊瑚のネックレスを買いたい」と言っていたので、一応ハネムーンでもあることですしプレゼントすることにしました。
 それで、丸1日のドブロヴニク観光は、(自宅用)お土産探しも兼ねてのぶらぶら歩きになりました。
 勿論ドブロヴニクの旧市街の名所は見て回りましたよ。

 そのうちの1箇所は「総督邸」。

 ドブロヴニクは今でこそクロアチアの中の「ダルマチア地方」などと呼ばれていますが、かつては貿易で栄えた「ラグーサ共和国」という、ヴェネツィアの如き都市国家であった歴史を持っています。
 でも、ヴェネツィア共和国の総督が終身という身分だったのに対して、こちらラグーサ共和国の総督の任期は、僅かに1ヵ月だったのだそうです。
 それから、カミさんの希望で「ユダヤ教博物館」へ行ってみました。彼女はイスラエルや世界各国におけるユダヤ教やユダヤ人に興味があるようでした。

 この博物館、2階はユダヤ博物館、3階はシナゴーグ(ユダヤ教の教会)になっていました。ユダヤ博物館はわからない事が多かったのですが、面白かったのはシナゴークというユダヤ教の教会です。

 ザグレブからこっち、クロアチアの様々なカトリックの教会を見学してきましたが、ステンドグラスの美しさとか、彫刻の見事さとか、勿論大聖堂の壮麗さなど色々と感心しましたが、共通して磔にされたキリスト像だとか、美しい宗教画が飾られていたのです。
 しかし、シナゴークはそうした像だの絵画などは飾られてはいませんでした。
 ユダヤ教というのは、そうした「偶像崇拝」を否定もしくは無視する宗教なのでしょうかね。

 例によってお昼はパン屋さんで買ったパンを、噴水(といっても我々がイメージする噴水とは違いますが)のある広場で齧って済ませてしまい、赤い珊瑚のネックレスを買うお店を探しました。
 で、お母さんとその息子がやっている(と思われる)アクセサリーショップにて赤い珊瑚をいくつか見せてもらって、カミさんが気に入った奴を買うことにしました。
 支払い方法を聞いたところ、クレジットカードではなくてキャッシュで支払う場合には、値引いてくれるとか。これは日本でも時々聞くディスカウントですよね。
 でも、さすがに観光地だと思ったのは、キャッシュがクロアチアクーナでなくても、ユーロでもOKで、更に驚いたことには日本の「円」でもOKなんだと言われたこと。

 非常用に、いくらかの円を持参した小生は、それなら、と福沢先生にご登場願って、クロアチアクーナのキャッシュの変わりに日本円で支払いました。観光地とは言え、日本円の通貨としての強さはさすがだナ、と思いました。

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未だ忘れ去られてはいなかった

 こんばんは、チェスです。

 鳥越(というのが、小生が結婚前に住んでいた家のある街です)に用事ができたので、一度行かなくてはなるまい、と思っていたのですが、今日はウチのカミさんが夜約束があって出掛ける、という事だったので、それなら丁度いいや、夕飯は鳥越で食べてくるから、今日は作らなくていいよ~と言い置いて会社へ行きました。


 会社を終わって、久しぶりに(と言っても2週間ぶりくらいか)浅草橋で下車して、(そうか、晩御飯をご馳走になるという立場になってしまったので、何か買っていくか)と思って途中でプリンを買って鳥越へと向かいます。

 玄関のカギは、未ださすがに持っていますので、カギを開けて家に入りますと、猫のコバン師が途中まで迎えにやってきて、お腹すいているんだ、ご飯くれ!と言ってきました。

 相当の期間を一緒に暮らした猫ですから、未だ忘れ去るということは無いだろうとは思っていましたが、でもこうして猫の顔を見ると懐かしくなります。
 コバン師もかなりの歳になっている(人間で言えば70歳代というところか?)筈で、もう余命もそんなに長くは無いと思いますが、それほど変わらない様子を見て(まぁ2週間くらいでは変わりようが無いか)安心しました。彼も、あとどのくらい元気でいてくれるかな?

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掛け布団・エアコン

 こんばんは、チェスです。

 だいぶ気温があがってきましたねぇ。

 夜、寝ていて、かなり汗をかいてしまうようになったので、掛け布団を薄い肌掛け布団に交換することになりました。が、寒がりのうちのカミさんは、まだ肌掛け布団では寒い、と言ってタオルケットを重ねて使用して調整です。小生はタオルケットは要らないのだけど、ダブルベッドですから仕方ありませんね。

 で、掛け布団を交換したはいいのですが、そうなるとそれまで使っていた羽毛の掛け布団、こいつをしまわないといけない。収納スペースに限りがある部屋ですから、寝室には置けないのです。
 まだしも空間のある、小生が使用中のクロゼットの中にしまうことにしました。

 でも、大切な羽毛布団ですから、埃にならないように袋に入れるなりしてしまわないといけない。

 その、布団袋が無いのです。あんな大きなものを入れる袋というのは、これは中々ないです。
 いや、確か買った時に入っていたビニールのケースの如き入れ物はあったのですが、そいつは既に別のお布団を入れて使ってしまいました。
 仕方ないので、会社の帰りに布団屋へ寄って布団袋を買いました。不織布製で1050円なり。

 その寝室なんですが、エアコンが付いていません。元々、借りたこの部屋に装備されていたエアコンはリビングダイニング用に一つだけなのです。
 さすがに寝室にエアコンが無いとなると、これから蒸し暑い季節がやってきた時に、暑くて眠れないだろう、ということで、先週の土曜日にエアコンを買いに行ってきました。目下家電製品入手先としてご用達の有楽町ビックカメラです。
 ヨドバシカメラもそうですが、今や大手の家電量販店なんですね。

 そのエアコンを取り付ける工事をしに、本日業者が来ている筈でした。
 帰宅すると、ナルホド、確かに寝室にはきれいにエアコンが取り付けられていましたが、カミさんによれば業者さんは一人だけでやってきて、工事にはかなりの時間を要したとの由。エアコンの取り付け工事って、それなりに力仕事だと思うのですが、それを今は一人でやってしまうのですねぇ。小生、てっきり二人で来るのかと思っていましたのでびっくりしました。

 そりゃ、時間はかかるでしょうよ。

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ドブロヴニク城壁一周

 こんばんは、チェスです。

 7日目。無事にドブロヴニクのホテルアルゼンティーナ(という名前だということは、アルゼンチン資本のホテルチェーンなのでしょうかね?)に荷物を解いて、まだ充分に外は明るかったので、身軽になってドブロヴニク旧市街見物へ行ってみました。

 前にも書きましたけれども、クロアチア観光をする場合には、この「アドリア海の真珠」などと喩えられるドブロヴニクは外すことはできません。当然、この街の旧市街は世界遺産に登録されている古い街なのです。
 アドリア海に面して建設されたドブロヴニクは、いくつかの砦、要塞と、これらを連結している堅固な城壁によって外側を構成されています。城壁の内側に石造りの旧市街があるのです。
 城壁の天辺の部分は、なんというんですか、人間が歩けるようになっていて、行ったことはありませんが中国の「万里の長城」はきっとこいつの物凄く大規模な奴なんだろうなぁ、と思うような造りです。旧市街をぐるっと城壁が取り囲んでいるので、見学料を支払えば城壁の天辺を一周することができます。歩いて一周しても、そんなに時間はかからないのです。それで我々は、ドブロヴニクのアウトラインを知るために、先ずは城壁を歩いて一周して、城壁から旧市街の様子を見たり、外側のアドリア海を眺めたりしました。さすがにクロアチアを代表する大観光地というためなのか、ここにも日本人の団体ツアー客と思しき人々と遭遇いたしました。

 城壁の所々には一応カフェなどもありますが、夕方だったせいかお客はそれほどいませんでした。城壁のすぐ内側は世界遺産の旧市街なので、古い教会や総督邸などが立ち並んでいるのですが、だからといって「遺跡」なのではなくて、ちゃんと人が住んでいるので、窓からロープが張られて洗濯物が干してあり、つまりは「生活」がここにはありました。

 旧市街の城壁のすぐ外側には港があるのですが、これは言わば「旧港」であって、現在ではドブロヴニクのすぐ目の前に浮かぶロクルム島へ向かう船や、海の中を見ることができるグラスボートやら、個人が持っているヨットなどが発着しているに過ぎません。

 現在のドブロヴニクの港は、スプリットから長距離バスで着いた時に、着く手前で大型船が着岸している様子を見ましたが、そのあたりに出来た「新港」がそれにあたります。スプリットやザダルといったクロアチアのアドリア海に面した港町や、アドリア海対岸のイタリアとの間を結ぶ大型フェリーなどは、全てこちらの新港に発着するというわけです。

 ともあれ、城壁を一周して、夕方の教会の鐘の音を聞きながら、アドリア海の夕暮れを見るのは格別なものでした。

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カーテン

 こんばんは、チェスです。

 考えてみれば、随分久しぶりのスポーツクラブでのマシンジムではあったのです。
 だから、リハビリという感じでホドホドにしておけば良かったものを、ついつい以前の上野に通っていた時と同じ様に頑張ってマシンを動かし、トレッドミルで走りしていたら、週明けの月曜日、見事に反動が来ました。早い話が筋肉痛です。

 それも上半身中心に来たのですから始末が悪い。トレッドミルは大したことはなかったらしく、足は別段なんともないのですが、二の腕やら首周りやら、肩やらが痛い。
 元のようにトレーニングできるようになるために、また地道に続けないといけませんね。

 帰宅すると、玄関に大きな段ボール箱が一つ置いてありました。

 連休中に注文したカーテンが届いたのでありました。
 ということは、今まではウチの窓という窓にはカーテンがかかっていなかったのです。
 まぁ、外から覗ける様な窓ではなかったので、特に気にしてはいなかったのですが、それにしてもカーテンが無いとおかしいですから、これでやっとまともな住まいになったという感じでしょうか。

 カーテンをカーテンレールに吊って初めてわかったのですが、吊るためのカーテンのカギをひっかける穴の開いた「あれ」、何と言うのか知りませんが、「あれ」の数は予め結構たくさんつけてあるものなんですね。最初、端から1つずつカーテンのカギを引っ掛けていったら、中央で「あれ」がたくさん余ってしまって、窓の真ん中でカーテンに隙間が出来てしまって具合が悪い。吊り直しをしました。

 クッキングスクールを復活させて、昼間行ってきたというカミさんは、今日はチョコレートを使った洋菓子だったとかで、その時に作ったというムースの如きショコラクレーム?を出してくれました。

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スポーツクラブ再入会

 こんばんは、チェスです。

 1年と9ヵ月の間お世話になったジェクサー・フィットネス&スパ上野は、小生の通勤経路から外れてしまいましたので、先月4月限りを持ちまして退会いたしました。この間、たくさんのインストラクターの皆様、一緒にレッスンを受けてお友達にさせていただいた皆様、遅くなってしまいましたが、本当にお世話になりました。ありがとうございました。

 4月上旬に結婚式・披露宴があり、2週間後に山形で再び披露宴があり、その翌日から目下旅行記を書かせて貰っているハネムーンに行くなどしていて先月4月はバタバタしていて、ジェクサー上野最後の月なのにもかかわらず、上記の方々にろくに直接お礼やお別れの挨拶ができなかったことが心残りではあります。

 スポーツクラブに入会した動機としては、当時ハマり始めていた水泳を思う存分楽しみたかったというのが大きかったので、プールへ行くことが多かったのですが、マシンジムやヨーガ、ステップといった、それまで踏み入れたことが無かった世界を知ることができたのは大変収穫でした。

 さて、綾瀬に引っ越してきて、こちらでの生活が少し落ち着いて、家の中も少しずつではありますが片付いてきたので、せっかく少し始まった運動の習慣を中断させてしまってはもったいない、と考えて、こちらでも適当なスポーツクラブに入会しようと考えた次第です。

 家の周辺~ということは、綾瀬駅の周辺ということになるのですが~には、3つのスポーツクラブがありましたが、駅から帰宅する時に寄りやすく、中の施設が綺麗でスタッフが親切そうな所に目星をつけて、取り合えずは施設見学に行ってみて、問題がなければカミさんと2人で入会しようと相談をしておりました。更に好都合なことには、このスポーツクラブは会員の方による新規会員紹介キャンペーンをやっていて、こいつを使えば新規に入会する我々も、紹介をしてくださる方にも双方にメリットがあるそうなので、こちらの会員であるFさんご夫妻にご紹介をお願いいたしました。
 Fさんは実に快く紹介をして下さり、我々2名の新規入会時の事務手数料が無料になりました。

 どうもありがとうございました>Fさんご夫妻様。

 Fさんご夫妻は、我々の入会事務手続のためにわざわざ時間を割いてくださり、おかげで昨日の土曜日、小生とカミさん2人はこちらのスポーツクラブの会員となりました。

 そして本日。

 晴れて会員となったので、初回利用ということで、昼食を食べてスポーツクラブへ初出撃です。
 小生も、暫し休養させていたインドア専用のスポーツシューズにトレーニングウェアを引っ張り出してリュックサックへ放り込み、カミさんと共にスポーツクラブのドアを開けました。

 まずはイン・ボディ測定という奴を実施して、トレーニングを取り組むためのデータ取りです。
 最近めっきり運動不足に陥っていましたが、体重はさほど増加してはいませんでした。但し体脂肪率は増加しました。
 で、身体に必要なトレーニングを行うためのメニューを作ってもらって、それに従っての運動です。
 最後にトレッドミルに3%の傾斜をつけて、40分ほど走りました。

 その後クラブ内にあるお風呂に入ってから帰宅しましたが、お風呂も綺麗でサイズも大きく、J上野ほどではないにせよ、満足できるものでした。
 今日はプールへは行けませんでしたが、次回訪問時にはプールの道具を持参しようと考えています。

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ドブロヴニクへ・そしてトイレ事件~7日目

 こんばんは、チェスです。

 ディオクレティアヌス宮殿・トロギール遠足やマルヤンの丘など、様々な思い出をもらって、スプリットの長距離バスターミナルからドブロヴニク行きのバスに乗り込みました。このバスはこれまでで一番乗車率が良いとでもいうか、かなりの人が乗っていました。でも明らかに旅行者と思われる人たちと、長距離バスとしては案外こまめに止まる停留所で乗り降りする人たちとが混在するという状況は変わらずです。

 スプリット~ドブロヴニク間は、4時間30分かかる長距離行程であり、しかも途中には、少しですけれども「ボスニア・ヘルツェゴビナ」の領域を通過しなくてはならない区間があります。ということは、これから向かうドブロヴニクという街は、クロアチアという国の中ではいわゆる「飛び地領土」ということになりますね。バスによる陸上移動の場合には、いちいちこうして他所様の領土を通過しなくてはならないという不便があるために、現在クロアチアではドブロヴニク側から本土側へと伸びている半島と本土とを結ぶ橋を建設中であり、この橋が完成すれば、ボスニア・ヘルツェゴビナのネウムという街を通過するという不便が解消されます。

 さて、別にクロアチアに限った話ではありませんが、海外旅行をすると、ホテル以外の場所でトイレを借りようとすると、チップが必要という場面に出会います。小生も今回、何回かチップを払ってトイレを使いましたが、今回程この習慣を呪ったことはありませんでした。

 何分、長いバスの移動であったので、トイレが心配ではありました。

 2回目の休憩停車の時に、トイレに行きたくなり、その時は短い停車時間であったので、急いでトイレに行ってチップを払おうとしたら、小銭が足りません。お釣りを貰えばいいや、と紙幣を出したら、トイレの番をしていた怖そうなオバサンは、お釣りはないない、ダメだ!というばかりに手を振ります。ため息をついて戻り、カミさんにこれこれだと告げると、カミさんのお財布から小銭を出してもらい、二人の小銭を合わせれば何とかチップ分に足りそうです。しかし、バスの停車時間はもう僅かですので、小銭を持ってダッシュでトイレに向かいました。オバサンの前の机に小銭をザラザラと出すと、それを数えたおばさんは、よし、入れとの仕草をしたので、さっさとオシッコを済ませてまた全速力でバスに戻りました。カミさんが待っていてくれたとは言え、こちらのバスは時間がきたらさっさと出発してしまうそうなので、気が気ではありませんでしたが、用を足すことができて心底ほっとしました。

 そして、バスが国境線のゲートに止まります。ネウムの街で、ボスニア・ヘルツェゴビナの係官(というか、単なる警察官にしか見えなかった)がバスに乗ってきて、パスポートを見せろという。我々旅行者はパスポートを出して見せるのですが、クロアチアの人たちは別に見せてはいない様でした。(と見えただけで実際は出していたのかもしれませんが)
 少しの間、ボスニア・ヘルツェゴビナのネウムを走り、やがて大きな橋を渡って、白い巨大客船がとまっている客船ターミナルを過ぎると、いよいよ「アドリア海の真珠」と言われているドブロヴニクです。長距離バスターミナルは旧市街から少し離れていて、我々のホテルはその更に先だったので、旧市街行きのバスの時刻表を探したのですが、どうもバスは出て行ったばかりらしい。仕方ないので、タクシーに乗ってドブロヴニク滞在先の「ホテル・アルゼンティーナ」へと向かいます。

 綺麗なホテルで、快適な滞在になりそうだと思いました。

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バター騒動

 こんばんは、チェスです。

 昨日からの続きです。

 会社で、いつも色々お世話になっているPANちゃんにも、バターの入手が困難になっていることを話すと、彼女もバターが買えないことに困っている様子でした。いずこも同じなんですね。

 バターが品薄で手に入らない、ということになれば、益々欲しくなるというのが人情というもの。昨日のAAさんの情報によれば、コンビニではバターなどをきちんと売っているようで。しかし、あのような製品であれば、やはりスーパーで買いたいものです。
 で、会社の帰りに地元密着型スーパーに寄ってみました。地元密着型のローカルスーパーならばあるいはバターがあるかもと考えたのですが、生憎ここにもバターは有りませんでした。

 そこへカミさんからメールが来て、「お水とオイスターソースを買ってきて」との由。
 で、綾瀬で下車してから、安売りスーパーの方に行って見ましたが、バターはやはりありませんでした。こいつはいよいよもってコンビニかな?と思って帰宅すると、カミさん、
「今日はバター買えた!」
との事。何でもヨーカドーに入荷したらしく、買えたのだとか。

 とりあえず、コンビニへ買いに行くのはキャンセルになりました。

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バターが無い!

 こんばんは、チェスです。

 本日会社から帰ってきて、綾瀬で電車を降りてプラットフォームを歩いていると、午後用事があってでかけていたカミさんとばったり会いました。で、帰宅前に買い物に付き合いました。
 本日はヨーカドーではなく、安売りスーパーでもなく、駅高架下に入っている東急ストア。何故かというと、ヨーカドーにはバターが無かったからなのだそうで。

 ウチではパンに塗るのは、カミさんの主張によりマーガリンではなくてバターです。
 小生は口は出さずに金を出す、という立場なので、大人しく従います。
 で、このスーパーの乳製品売り場で見ると、なんとここでもバターがありません。

 いや、一応厳密に言えば、あることはあるのですが、一箱が千円以上もするという超高級バターや、ほんの小さな容器に入っている使い切り用バターのみで、国産有名乳業のお手頃価格のバターは、どれも品切れで、品切れをお詫びする紙切れが、空白の商品棚に入っていました。

 カミさん、そのすぐ脇で商品整理をしていたスーパーの店員さんをつかまえて、バターがないのはいったいどうしたわけか?と問い詰めましたら、乳業各社が全て品薄状態で、お店でも時々にしか入荷せず、入ると直ぐに売れてしまうという状態なんだとか。

 いったいこれは、どうしたことなのでしょうか。

 バターやチーズ、ヨーグルトといった乳加工品を作るための原料は、「生乳(せいにゅう)」といいますが、酪農家ではこの生乳の生産量を減らしているらしいのです。国内では、牛乳の消費量が全体的に落ちてきていて、それに伴って生乳もだぶついてきたため、生産調整にはいったのだとか。
 ところが今度はお隣中国で、乳加工品の需要が急増し、そこへもってきて穀物相場の高騰が牛の飼料価格を直撃、酪農家にとっては生乳の増産というのはリスクが大きすぎる事業になってしまったのだそうです。

 つまり、品物が少なくなったからと言って、おいそれと増産に転じることができない、というのが、現在の乳業各社の事情の様です。

 いやしかし、スーパーの店頭でバターが買えなくなったとは!

 パン屋さんなどは、どうやって必要量を確保しているのでしょうかね?

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スプリットへ戻る~6日目

 こんばんは、チェスです。

 トロギールは、昨日の記事でもおわかりのように、そう時間をかけずとも観光を済ませることができましたので、ランチはキオスク(みたいな売店)でパンと飲み物を買って海岸のベンチで食べることで済ませてしまい、後はバスの時間までブラブラしました。この日に限らず日差しが強く暑かったので、街で買って食べたアイスが大変美味しかった。

 来るときとは別のルートを通って帰るバスに乗り、スプリットへと戻りました。

 帰りのバスは、スプリット空港のターミナルビルに立ち寄るコースで、行きより若干時間がかかりましたが、1時間程でスプリットへと戻りました。しかし戻ってきたのはよくわかっている長距離バスターミナルではなくて、スプリットの近郊向けのバスが発着する近郊バスターミナルでしたので、どうすれば戻れるか、ちと慌てましたが、まぁ地図もあることだし、と見当をつけて歩き出したら、今回ばかりはうまく戻ることができました。
 この時に交通信号を見ていて気が付いたのですが、この国の交通信号は、赤信号から青信号に変わる時にも、ほんの一瞬なんですが黄色を経由するのです。
 日本の信号機は、青→黄→赤→青と変わっていきますが、クロアチアのは、青→黄→赤→黄→青と変わっていきます。赤信号で停車している自動車に、青信号に変わるときに注意は要らないのではないか?と思いましたが、単なる機械システム上の仕様なのかもしれません。

 一旦ホテルペリスティルに戻って、トイレを済ませて、スプリットの旧市街を一望できる「マルヤン森林公園」のある丘に登ってみよう、ということになりました。ですがまぁ一応ホテルのお兄さんに、歩いてどのくらいかかるか、聞いてみたところ「20分くらいで行ける!」との事だったので、早速に出発です。
 宮殿の遺跡を出て、西に向かって住宅地を歩いていくと、どんどん登り道となり、やがて公園の入り口に出て、坂道を更に登っていくと、どうやらスプリットの旧市街やフェリーターミナルを一望できる展望台に出ました。

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 夕日を浴びるスプリット旧市街を眺めて満足し、マルヤンの丘を降りてから、さて、今晩の夕飯はどこで食べようか?とガイドブックお薦めの店を探しますが、どうもこれが見当たりません。
 仕方無しにペリスティルに戻って、ホテルのレストランに入ると、顔なじみとなったホテルのオヤジがやってきて、我がカミさんに向かって(このオヤジはカミさんの方が英語がしゃべれることを知っていた)「是非、スシを食べて欲しい。クロアチアの天然マグロは素晴らしく、週に一回東京の築地へ空輸される。東京で一番美味しいのはクロアチアのマグロだ。丁度そのマグロがある。若し食べて美味しくなかったら、お金は払わなくてもいい。」とまで言ってきたので、(大した英語ではないので、小生のリスニング力でもこの程度なら解読できました)それほど言うのなら、とその「スシ」とやらを注文しました。

 やってきた「スシ」は、当然お鮨ではありませんでしたが、ルッコラとウォータークレソンの上に、薄く切ったマグロ(カジキマグロだと思いましたが)のお刺身がたくさん載っていて、これにオリーブオイルとビネガーを合わせたドレッシング状のものがかけてあるサラダ仕立ての料理でした。
 しかし、これは確かに美味しかった。

 このホテルに限らず、クロアチアのレストランで食べたご飯には、別に注文しなくても、常に籠にどっさりとパンがついてきたので、パン大好きの小生としては誠に嬉しい限りだったのですが、お料理の一皿の分量が多くて、我々は2人かがりで食べるのも大変なことが多く、結構美味しいパンも残してしまうことが殆どでした。

 この旅行中、概ねの食事のパターンとして、
 朝食:ホテルのブッフェでパンや果物、おかずを朝からどっさり食べる(何せホテル代に入っているので)
 昼食:朝食のせいであまりお腹が空かず、売店でサンドイッチやパンを買って食べて済ませる。
 夕食:レストランで再び分量の多い食事
 という形になる事が多かったのでした。

 スプリットを離れる夜に外で夕食を食べることは出来なかったのですが、ホテルの夕食も思いがけずに美味しいものにありついた、という感じでした。隣のテーブルには、大きなワンちゃんを連れた、やはりこのホテルへの宿泊客が食事を摂っていましたが、そのワンちゃんが見事に躾けられていて、大人しいのには感心しました。

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エクスカーション・古都トロギールへ~6日目

 こんばんは、チェスです。

 ディオクレティアヌス宮殿内のホテルにて朝起きると、この日も眩しいばかりの晴天。
 3日目のプリトヴィッツェ国立公園で小雨に降られた以外は、良い天気が続いています。紫外線も降り注いでいることでしょう。

 さて、ディオクレティアヌス宮殿内の見所は昨日見て回ってしまったので、今日はバスで40分ほどのところにあるトロギールへ、半日の遠足です。
 昨日着いた長距離バスターミナルへ行き、ザダル方面へのバスに乗ります。方向的には少し戻るわけです。
 長い距離を乗り慣れてしまって、40分のバスは物足りない程でしたが、問題なくトロギールに到着。

 この古都トロギールは、本土と運河の様な水路で隔てられている島なのですが、かつては陸続きだったのをわざわざ水路を掘って切り離したのだとか。行ったことはありませんが、長崎の出島みたいな感じでしょうか。
 橋を渡ると北門があり、これをくぐると中心をなす広場です。どこの旧市街でも中心にあるのは大聖堂や教会なのですが、ここもそうで、「聖ロヴロ大聖堂」が大きく立派です。
 例によって鐘楼にも登ってみましたが、途中から階段がかなり狭くて急になったので、いい加減に昇って止めました。中には宝物室があったので、見てきましたが、残念ながらその価値はさっぱりわからず、「何だかわからないけれども、すごいもんだなぁ」というよくわからない感想。

 一度海岸に出ると、トロギールの向かい側にはチオヴォ島という島がありました。

 このチオヴォ島にも行ってみようかな?と思ったのですが、ガイドブックを見ても、何も見所は書かれていなかったので、特にこれといって観光資源はないのでしょうね。
 で、トロギールの端っこの方にあるカメルレンゴの砦へ行ってみました。

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 正面に見える構造物が、カメルレンゴの砦です。
 海岸沿いをとことこと歩いても端まですぐに着いてしまうほどのこじんまりとした島なのです。

 砦もごく小さなものでしたが、それでも砦の上に登れば対岸のチオヴォ島の様子が良く見えます。どうやらチオヴォ島は造船会社があるらしく、クレーンが何本も立っていて、造船中の船も見えました。
 ごく小さな、救命ボートほどの大きさのボートが3艘、そのチオヴォ島の北へ回り込む様にして出航していく様子が見えて、あんな小さなボートでも遠くへいけるほど、このへんのアドリア海は穏やかな内海なのでしょうね。

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スプリット

 こんばんは、チェスです。

 小生の誇る「ウチのカミさん」が作ったハネムーンのスケジュール上、この辺が山場というか折り返し点というあたりになります。
 旅の疲れも出てきそうなものですが、我々はまだまだ元気一杯で、アドリア海沿岸としては最大の港町=スプリット(又はスプリト)にやってきました。
 日差しは大変に強く、昼間歩いていると日に焼けてしまいます。

 長距離バスターミナルでバスを降りると、とりあえずはホテルに向かいます。まだお昼になろうとしているところで、果たしてチェックインできるかどうか怪しい時間でしたが、チェックインできなくても最悪荷物は預かってもらえるだろうと、ホテルを探します。

 2泊するホテルは「ペリスティル」といいますが、このホテルはこれから我々が見学すべきスプリットの中心部「ディオクレティアヌス宮殿」という遺跡の中にあるのです。そもそも、ホテルの名前「ペリスティル」というのは、この宮殿の広場の名前で、ここにあるホテルだからペリスティルという名前になったのだな~と理解できます。

 迷いながらも何とかホテルを見つけると、ホテルはまさに宮殿内にありまして、こじんまりとしている建物は4階建て、1階はレストランで他のフロアは各階4部屋でしたから、全部で12部屋という小さなホテルです。エレベータはなく、我々の部屋は4階でしたから、荷物は持っていって貰いましたがチップをはずまないといけない労働です。家族経営という感じの、日本で言うならペンション?という雰囲気です。ですが内装はなかなか凝っていて、バスルームやら室内に使ってあるのはアンティーク家具でした。シャワー室のみでバスタブが無いのはちょっと残念ではありましたけど。

 そして、荷物を解くと早速このホテルもある宮殿内の見学開始です。

 先ほど書いた宮殿の名前「ディオクレティアヌス」というのは、ローマ帝国時代の皇帝の名前です。
 ウィキペディアによれば兵隊上がりでとうとう皇帝にまで昇りつめ出世した人で、当時ピンチに陥っていたローマ帝国を、彼の手腕と分割統治という方法で建て直し、帝国の寿命を引き伸ばしたのだとか。で、晩年になり、病気になって皇帝を引退して(生前に引退した初めての皇帝でもあるそうです)隠居所として住んだのが、このスプリットにある宮殿。ですからディオクレティアヌス宮殿という名前なのです。

 ところが、皇帝も死んだあと、近くの住民は異民族の侵入に対して、強固な城壁を持っていたこの宮殿を避難所として移り住んできたのですね。で、宮殿の基礎の部分はそのままに、その上に住居となる建物を増築していったものですから、古代ローマの宮殿跡と、中世の住居建築とが混在するという、摩訶不思議な街になりました。当然、世界遺産に登録されています。

 世界遺産の中で2晩寝泊りすることになりました。

 最初に見たのは、ホテルからすぐ隣の大聖堂。最も大きく目立つ建物で、高い鐘楼はこのスプリットのランドマークにもなっています。
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 この鐘楼に登って、スプリット駅の方を眺めた景色です。
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 他に地下宮殿も見学しましたが、ちょっとした地下室というのではなくて、凄い広さと規模に驚きました。このあたりから日本人ツアー客と一緒になってしまう局面が多くなって、日本人を見つけると逃げるという行動を取るようになってしまいました。

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シベニクの街・スプリットへ~5日目

 こんばんは、チェスです。

 以前にも書きましたが、シベニクの街~観光の中心は他の街と同じ旧市街です~は、本当にこじんまりとしていて、観光客も少なく静かで、良い印象です。生活の中に史跡が生きている、と感じます。

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 そんな街並みの夕方です。

 シベニクの旧市街は到着後の夕方に「聖ヤコブ大聖堂」を見に行きました。
 屋根の一部が修復中で、正面から写真を撮ると残念ながらその修復中の黒い覆いが写ってしまいます。ここは本来は一般見学ができるのは午前中のみなのですが、偶然とあるツアーの一行が見学に訪れていて、ドアが開いていましたので、中を見せてもらいました。
 大聖堂はまったくの石材のみでできていて、その建築には100年以上を要した、との事ですが、そのために最初はゴシック様式で建設が始まったにもかかわらず、途中でルネッサンス様式に変更されてしまったのだそうです。
 屋根部分が半円形のカマボコ形なのは、ルネッサンス様式の特徴なのだとか。

 翌朝、前の日の夕方には閉まっていて見学できなかった、「聖ミカエル要塞」を見に行きました。
 
 要塞なので高台にありますが、ここから昨日見学した、聖ヤコブ大聖堂のドームが見えました。
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 対岸の島や、更にその先の海まで見えて、大変気持ちの良い朝でした。

 ホテルに戻って荷物を取ってバスターミナルへ行き、スプリット行きのバスに乗りました。
 シベニクからスプリットまでは比較的近く、楽な移動です。

 シベニクと異なり、大きなフェリーターミナルなどがあるスプリット(本によっては「スプリト」との表記もあります)は、賑やかで大勢の観光客で賑わう街でした。
 そして、非常に面白い遺跡のある街でもあるのですが、それはまた明日。

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美容室

 こんばんは、チェスです。

 恥ずかしい(かも知れない)お話ですが、小生は生まれて此の方、美容室(美容院)で髪をカットしてもらったことはありません。髪をセットしてもらったことなら、結婚室の当日に、ホテルにある美容室でセットしてもらいましたから、そいつが美容室初体験ということになりますけど。

 更に厳密なことを書けば、小生の母親の2つ下の妹~小生の叔母ですね~が、静岡県で美容院を経営しておりまして、母親が時々ここでカットやパーマをしています。で、母親を連れて行ったついでに小生も叔母に髪をカットしてもらったことがありますから、そうなると「美容室で髪をカットしてもらったことはない」というのもウソになってしまうのですが、あれは叔母のサーヴィスでカットしてくれたので、言わば番外です。

 で、最近ウチのカミさんから「パーマをかけてみなよ~」と言われていて、確かに小生の髪は真っ黒ではありますが、真っ直ぐであるため、これが伸びてくるとべたっとしてしまい、更に現在はかなり前髪が伸びてしまったために、強い風の日などは前髪がばらばらと顔に落ちてきてうるさいことこの上ない。ならば前髪を下ろして適当な長さに切ってしまえばよさそうなものですが、そうなるとただでさえヌケ作の顔が益々世間知らずのおぼっちゃまの成れの果てみたいになって、どうしようもないので、前髪をカットするのはいやなのです。

 でもまぁ、そろそろ髪をカットするかぁ、と思っていたところ、またぞろ「パーマはかけないの?」とウチのカミさんに言われて、いやしかし、行きつけの美容室なんて無いし、と抵抗を試みたところ、「じゃあ私が行っているところにする?」と言われて、これでは断る言い訳がありません。

 仕方が無いので、とうとう「美容室初体験」です。ま、最近は男性も結構多くの方が美容室で髪をカットしたりセットしてもらったりしているそうですから、お店に入るのもそんなに恥ずかしい思いをしなくてもすみそうです。

 さて、カミさんに教えてもらった美容室はすぐにわかりました。
 入り口は広くて入りやすいですが、それだけに美容室ではないみたい。この人に紹介されてやってきた、とカミさんのポイントカードを渡すと、今度は小生のデータ収集のために顧客カードみたいなものを書かせられます。同じ苗字を書きますから、忽ち夫であることがバレてしまいました。

 で、ご担当の美容師さんから、床屋さんとは段違いに詳細な「仕上がり希望」のヒアリングがあります。
 美容師さんにあれこれと希望をお話して、これが一段落すると、シャンプー担当の男性に替わって、何やら暗い部屋へと連れて行かれて、いきなり驚きましたが、頭のマッサージから始まりました。
 その後シャンプーがあって、ようやく本番の開始です。髪をカットされた後、髪をくるくると巻かれて、あの独特の匂いのするパーマ液をかけられます。その後はひたすら待ちますので、その間雑誌を眺めていると、コーヒーにお菓子がでてきました。コーヒーを飲んでいると、パーマ液つけの工程が繰り返されます。更にそいつがもう1回か2回はあったかな?ここが大変。

 で、ようやく終了して、またシャンプー台へ連れて行かれて慣れない形でのシャンプー。あの、仰け反る形で髪を洗ってもらうのは、意外に疲れます。慣れていないせいかもしれませんが。

 出来上がりますと、おおっ、これは案外にすんなりと受け入れられる髪形です。そんなに変ではありません。というか、自分でも(ちょっとは若くなったじゃないか!)と思える。さすがはプロです。

 けれども、レジの前に立って、本日の作業代金を聞いてびっくり仰天しました。まぁなんて高いこと。こんなの、簡単にはいけないですよ。

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通勤事情

 こんばんは、チェスです。

 毎回、ハネムーンの旅行記では、さすがにリーダーの皆様のお飽きになってゲップが出るでしょうから、たまには旅行記をお休みして、通常版の記事をお届けしようと思います。

 で、引っ越した先から会社への通勤事情の変化です。

 現在小生は、東京メトロ千代田線の綾瀬駅から西日暮里でJR京浜東北線に乗り換えて、後は以前と同じルートで東京の北のはずれにある会社へ通勤しています。
 実は、こちらに引っ越すという事が決まってから、何人かの方から脅かされていました。

 曰く「地下鉄の千代田線というのはハンパではなくて凄く混んでいる」と。

 事実、電車に乗っていて、その混雑で押されて肋骨が折れるかと思うくらいの混雑にあったこともあります。この時ほど、この線を使って会社に通勤していたウチのカミさんを尊敬したことはありませんでした。あんな猛烈に混んでいる電車に毎日乗って通勤していたとは、なんと凄い人だろうかと。

 でも、この日は千代田線に乗り入れているJR常磐線緩行電車のトラブルによる遅れが発生していて、つまりイレギュラーだったのですね。この日帰宅してからカミさんに聞きましたが、いくらなんでも毎日そんなには混まない、という事でしたから。

 なるほど、ま、確かに混んでいることは混んでいるのですが、身の危険を感じる程ではないということが判明しました。

 それに、綾瀬というのは、朝の通勤時に「始発電車」という大変ありがたい付録があるのです。
 これは、千代田線の車両基地が北綾瀬にあるせいで、ですから綾瀬始発の電車に乗ることができれば、これは混雑度としては大したことはない。

 千代田線は、JRの他に小田急電鉄とも乗り入れています。で、そうした電車で遠くまで通勤される方にとっては、座って通勤できるのは、何物にも変え難いメリットには違いありません。
 小生は、綾瀬から乗って、北千住、町屋、と停車して西日暮里でおりますから、別に始発電車で座る必然性はないのですが、立って行くにしても、やはり少しは空いた電車は歓迎です。

 ですので、毎朝、この始発電車を捕まえることにしました。

 確かに少し空いているだけでも、随分と楽なのですから。

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シベニクへ~4日目

 こんばんは、チェスです。

 話は初日のザグレブ到着に戻りますが、ザグレブ行きの飛行機に、日本人旅行者を何人か見かけました。その内の2人~女性の2人連れでしたが~には、ザグレブ市内観光をしているときも出会いまして、ほんの少しですがお話をしました。
 その2人と、プリトヴィッツェを出発する日の朝に公園入り口でまたお会いしまして、今度は結構お話をしたところ、横浜から来られた個人旅行者ということでした。

 さて、4日目はバスでシベニクという街へ移動です。
 ですが、このプリトヴィッツェは国立公園であって、単にバス停があるだけで、バスターミナルはおろかバスのチケットを売ってくれるキオスクの如き存在もありません。そこで、こういう時に頼りになる「i」の表示のツーリストインフォメーションへ行き、シベニク方面のバスのタイムテーブルを教えて貰いました。それによれば日中はバスはあまり走っておらず、例えば11時のバスの次は1時過ぎになってしまいます。しかもこちらのバスは停留所にぼーっと立っているだけでは乗る客とは看做されずに通過してしまいますので、バスが来たら手を振って止めなくてはなりません。

 我々は10時45分頃にはバス停に来て、バスを待ちました。観光バスなどにも手を振ってしまったために、ドライバーの運ちゃんに手を振られるという失態をしましたが、そんなことには構ってはおれません。11時をかなり過ぎ、これはひょっとすると、定時より先にバスが来て、もう行ってしまったのか?と疑いだした頃に漸くバスが来ました。大海原でゴムボートに乗って漂流中の遭難者もかくやというほどに手を振ってバスを止め、降りてきた車掌(と思われる大男のおっさん)に大声で、シベニクへ行くか?と(適当な英語で)聞くと、おっさん「ヤーヤー」と頷いて我々の荷物をバスのお腹に入れてくれました。やれうれしやとバスに乗り、このおっさんから2人分のチケットを買って一安心です。
 途中、ザダルというかなり大きなバスターミナルで休憩停車があったので、昼食代わりのパンを買い、カミさんがコーヒーを買いに行ってくれたのですが、そのコーヒーは大きな紙コップにほんの少ししか入っていないのです。
 2人で首を捻って推定した結果、どうもこっちではブラックコーヒーというとエスプレッソになってしまって、我々が飲む分量のコーヒーが欲しければ、ウィズミルクと指定してミルク入りにしないといけないらしい、と思い至りました。

 ザダルから先は、バスは大変美しい陽光煌くアドリア海の海岸を走ります。アドリア海はいくつも島があって、内海である海は大変穏やかです。
 それほど時間もかからず、シベニクに着きました。

 シベニクのバスターミナルは、シベニク旧市街の東外れですが、海岸にこじんまりとしているシベニク旧市街へは海岸を歩くと簡単に着きました。旧市街にある唯一のホテル、ヤドランが今夜の宿です。
 フロントも小さくエレベータは古くて反応悪いし、ボロそうなホテルではありましたが、しかし、この小さな古い街は、カミさんが多いに気に入りました。

 小さな街だけに、観光客も少なく、騒がしくないのです。そして、海岸にくっつくようにして建てられている教会や砦などは勿論ですが、古い家々の中をただぶらぶら歩いているだけで、充分に楽しい。

 翌日の午前中までの約1日の滞在でしたが、とても趣のある街でした。

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プリトヴィッツェ湖群国立公園~3日目

 こんばんは、チェスです。

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 前の日に見て回ったザグレブ市内の、旧市街へ上がるケーブルカーです。

 3日目の朝は、今にも雨が降り出しそうな曇り空でした。
 前の日にカミさんと協議の上、ユーロをもう少し「クーナ」に両替した方が安全である、との結論に達したため、朝一番でザグレブ銀行に行き、クーナへの両替を行ってから、バスの時間まで昨日は歩かなかったザグレブの新市街を歩いて、クロアチア国民劇場の建物を見に行きました。その後、日本大使館の前を通ってホテルに戻り、預けておいたスーツケースを出してから中央駅前の乗り場から再びトラムに乗って長距離バスターミナルへ。本日からクロアチアのバスの旅の始まりです。

 既に昨日チケットを購入しており、下見でバスの出発する乗り場の番号も調べてありましたから、余裕ではありましたが、カミさんはさらに慎重に、バスが来る番号の階段を降りていき、様子を見に行きました。
 すると直ぐに戻ってきて、もうバスが来ているとの由。ならば、とスーツケースを持ち上げてバス乗り場へ降りていくと、なるほどバスが止まっています。プリトヴィッツェ国立公園まで行きたい旨を告げると、降りるバス停を聞かれ、更には荷物1個につき7クーナだという。長距離バスは荷物を積むのが有料なのです。

 バスは、ほんの数名の乗客を乗せて定刻に出発しました。

 ドライバーの他に、車掌役の男性が乗務していて、途中の停留所から乗ってきた客は、その車掌から切符を買うシステムです。日本であればドライバーに一人何役もやらせる所でしょうが、クロアチアは未だそれほど人件費は高騰していないのでしょう。

 道路は大変良く整備されていて、高速道路も快適です。
 道を走っている車を観察しましたが、フランス、ドイツの車が多く、次がイタリア車でしょうか、ボルボなんかも良く見ましたから、欧州車で8割くらいかな。我らが日本車はそれほど目立ちませんが、面白いことにマツダが結構健闘しています。
 トヨタは高いのか、あまり見ません。

 バスは一回休憩を挟んで、順調に走り、午後2時過ぎにはプリトヴィッツェ湖群国立公園の「入り口2」に着きました。この日に我々が泊る「イェゼロ」というホテルの入り口を通り過ぎて500m程のところにバス停があり、重い荷物を引いて車が猛スピードで走る道を歩くのは正直怖かったです。
 ともあれ無事にホテルに荷物を解き、時折小雨の降る生憎のお天気ではありましたが、雨具を持ってインフォメーションで入場チケットを買い、ついでに残り時間からのお薦めコースを教えて貰って、その通りに歩いてみることにしました。

 まずは湖畔に出てボートで湖の向こう側に渡り、案内標識に従ってポイント「C」を目指す。そこまで行ったらバスで戻ってきて、今度は下流側の大滝(ヴェリキ・スラップ)を見に行くが、戻ってくるための最後のバスは18時だから注意するように、とまぁそんな案内でした。

 お天気は確かにイマイチではありましたが、この公園は素晴らしい大自然の芸術作品でした。
 エメラルドグリーンといってよい水の色。いたるところにマスなのか、たくさんの魚がいることが簡単にわかる透明度。数え切れない数のたくさんの滝。
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 そうした湖と滝とを、湖岸に作られた歩道(木道)を歩きながら眺めていきます。
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 この国立公園は、1979年に世界遺産に登録されましたが、1990年代前半のクロアチア独立紛争の時には被害を受けて、一時は緊急保護措置が必要とまで認定されました。しかし現在では、再び美しい姿を見せてくれています。

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ザグレブ観光~旅行2日目

 こんばんは、チェスです。

 2日目。この日はザグレブ市内の観光に充てられておりました。

 まず見るべきは、旧市街。これから訪れるクロアチアの各都市は、これらの旧市街に見所が集まっていると言って良く、旧市街を語らずして、ザグレブは語れません。
 我々が泊ったアストリアホテルは、ザグレブ中央駅にほど近い、東京で言えば丸の内にそれとなく雰囲気似ている様に思いました。

 そして、この中央駅から、北の方に広がっているオレンジ色の瓦屋根の家々が、旧市街を象徴いています。その中でも、そうですねえ、一際目立つのが「聖母被昇天大聖堂」です。この大聖堂は、実に大きく、尖塔の高さが100m以上あるので、我々が宿泊したホテルの前からでも見ることができました。内部の見学は無料でしたので、入ってみると、非常に天井の高い立派な伽藍です。そして、この旅行の後、様々な教会などを見学しましたが、これらに共通して言える事は、中には跪き、お祈りをしている敬虔なキリスト教徒がおられたことでした。

 この大聖堂を出て、隣の青空市場を眺めて、屋根のモザイク模様が美しい「聖マルコ教会」へと行きました。但しこの教会は修復中であったので、殆ど見ることはできませんでした。

 この界隈にはいくつかの博物館があったのですが、それらを全て見ることは時間的に不可能でしたので、小生の希望で「ナイーヴアート美術館」へと行きました。クロアチアでは、大変素朴な印象の美術である「ナイーヴアート」という種類の絵画が盛んで、日本でも展覧会をやっている有名なナイーヴアーティスト達の作品を展示していました。

 これで丁度お昼になったので、先ほどの青空市場の脇にあった、道路に椅子やテーブルを出していたカフェでパスタの昼食を摂りましたが、正直言ってこのパスタは「よーく茹っている」パスタでありました。

 ザグレブの中心部、言わば東京なら銀座の如き繁華街は「イェラチッチ広場」を中心とする街です。デパートや有名店が並んでいて、ここを暫しカミさんと手を繋いで散歩し、クロアチアが起源であるというネクタイを「クロアタ」というネクタイの専門店でカミさんが買ってくれました。

 少々疲れたので一度ホテルに戻って休憩し、明日の移動のためのバスチケットをバスターミナルへ行って購入。ちなみにバスターミナルは中心部から少し離れていましたので、「トラム」という名称の市電で行きました。トラムの切符は、停留所の近くにあるキオスクで買って、トラムに乗ってから車内にある印字機に通して乗車時間を印字する、という仕組みでしたが、見ているとこの印字機を真面目に使っている人は、どうもほんの僅かで、地元の殆どの人は、単に乗ってきて、そのまま降りていく、という、まるで無賃乗車?の様な乗り方をしていました。

 無事に翌日のバスチケットも入手できたので、トラムで中心部に戻って、クロアチアのお土産を物色。カミさんはクロアチアワイン(最近注目されている高品質ワインだそうです)を日本へ送りたかったみたいですが、お店で聞くと、それはやってくれないそうなので、断念。その代わりに、自然派化粧品メーカーの直営店「アロマティカ」というお店で、石鹸やバスソルト、オイルなどを買いました。
 更に、目星をつけておいたクロアチア料理を出してくれるというお店で、クロアチア料理を堪能。
 ところが、食べ終わってホテルへと歩いて戻る途中で、先ほど買ったお土産をお店に置き忘れてしまったことが判明。慌てて早足で戻り、無事にお土産を回収して、ホテルに帰りました。

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ウィーン~ザグレブへ

 こんばんは、チェスです。

 飛行機は延々とシベリアの上空を飛び、時々マルチモニターで「今はどの辺を飛んでいるのかな~」とチェックしましたが、あまりにも変わらないので途中でそれも放擲。それでもやがて、ウラル山脈を越えてヨーロッパに入り、ミンスクだのモスクワだのの名前が見えて、漸くウィーン国際空港に到着。現地時間は15時55分。成田を10時55分に立ったので、5時間かと思いきや、7時間の時差(あちらは現在サマータイム)があるので、実際は12時間の飛行時間なのです。つまり、日本時間では22時55分ですな。

 ここで、同じオーストリア航空のザグレブ行きに乗り換えです。荷物は積み替えられる手筈なので、人間だけが乗り換えればOK。で、そのザグレブ行きに搭乗してみると、これが双発プロペラ機。こんな小さな飛行機に乗るのは初めてです。こいつはデハビランド・カナダを買収したボンバルディアが製造販売しているDHC-8という飛行機の筈ですが、通路を挟んで2列シートであり、バスの様な雰囲気です。僅か55分でクロアチアの首都、ザグレブの国際空港に到着いたします。
 ほんの僅かの時間で着いてしまうにもかかわらず、パンとミネラルウォーターのサービスがありました。

 そうして、本日の目的地、ザグレブに到着です。18時15分着。

 ちょっと見は、一国の国際空港とは思えないシンプルな空港でした。北海道のローカル空港、例えば釧路空港などといい勝負ではないかと思えました。新千歳空港の方がターミナルビルは遥かに大きいでしょう。(到着ロビーしか行ってないけどね)
 ここで、持って行ったユーロの一部を、クーナに変えます。単純に両替してもらっただけですが、これが後から紛糾することに。思えば細かいお金を混ぜて両替してもらえば良かったです。

 空港ロビーを出た所に、クロアチア航空の空港バスが止まっていましたが、到着直後で大変疲れていた我々は、バスには見向きもせずに客待ちをしていたタクシーへ。なんとこれが、プジョー307という我がプジョリーヌと大変良く似た車でした。
 果たしてドライバーがわかってくれるか不安でしたが、ホテルの名前を言うと、おばさんタクシードライバーは、「わかった!」というように頷いて走り出しました。
 クロアチアのタクシーはメーターが付いていますが、これが恐ろしい勢いで上がります。ちょっと不安になりましたが、さして時間はかからずに、ザグレブの市内に入りました。我らのザグレブでの宿泊地はアストリアという名前のホテルです。19時=夜7時近いのですが、サマータイムのおかげで全然暗くありません。ようやく夕方かな?位の感じです。ところで、タクシー代をチップ込みで支払おうとすると、おばさんにはどうも英語が通じず、それでも辛抱強く聞いてみると、「細かいお釣りが無い」ということらしい。我々にも、着いたばかりで小銭はありません。結局おばさんは、なんとタクシー代を少しまけてくれて、「チャオ~」と去っていきました。申し訳ないことをしました。

 ホテルの部屋に荷物を解いて、本来の体内時間であれば真夜中なのですが、ここで寝てしまうとこちらの真夜中に起きなくてはいけません。ここは頑張って起きていないと明日からの行程に差し支えます。そこでザグレブの街に夕食を食べに行くことにしました。

 夜8時近くになっても、未だ明るい。東京の6時くらいの明るさ。で、ガイドブックで目星をつけておいたお店に行ってみると、あろうことか看板の灯りが消えていて、ドアは閉まっている。どうもお休みらしい。
 がっかりして、ザグレブの中央駅の近くにある、地下街ショッピングセンターへ行ってみます。
 フードコートもあるのですが、ファーストフードのお店ばかりです。
 とあるお店に入って注文しようとすると、これがなんと飲み物だけで食べ物は無し。
 結局、ピザ屋でピザを買って、ホテルで食べるという、なんだか気勢の上がらない第1日目となりました。

 ザグレブの街を歩いていると、未だ日本人は珍しいのか、あちこちからの視線を感じました。

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機内にて

 こんばんは、チェスです。

 クロアチアに着いたところから始まると思ったでしょう?

 そうは、いかない(笑)

 その前に、クロアチアについて少し。

 「地球の歩き方」は、まだそんなに部数が出ないと思ったのか、あるいは必要なデータが少ないのか、クロアチアについては単独では出ていなくて、2008年春現在では「スロヴェニア・クロアチア」という2国合併編集で出版されています。
 その他、国の紹介をしている本はありますが、もしここへ旅行してみたい、と思われた方は、何をさておいてもこの本を買われた方がいいでしょう。
 後は外務省のサイトの各国・地域の紹介ページや、例によってウィキペディアの解説ページを読んで予習をしていきました。

 面積は我が国の九州の1.5倍程度。人口は約430万人で、そのうち首都のザグレブには76万人程が住んでいます。通貨はクーナで1クーナは約20円少々。なお、クロアチアはEUへの加盟候補になっていて、2009年にはEUに加盟する予定だそうです。そうなると通貨もユーロが使える様になるのでしょうね。

 さて、小生は外国へ行ったことがありませんでしたから、当然長い時間のフライトは経験がありません。果たして耐えられるのかどうか、不安があります。

 このオーストリア航空、全日空との共同運航便で、コードをシェアしておりました。

 未だ日本の領空にいるあたりで、飲み物と小さな袋に入ったスナックのサービスがあり、その後で食事のサービスが始まりました。チキンとサーモンからのチョイスでしたから、当然にサーモンを選択いたします。

 機内食は小さなお盆に、可愛らしくあれこれと盛り付けられているもので、楽しいのですが、早く食べ終わらないと下げられてしまいます。ですので、結構忙しいのです。
 機内食を食べ終えてしまうと、飛行機は延々とシベリアの上空を飛んでいます。やることが無くなったので、目の前のマルチモニターで映画を見ましたが、日本語字幕の出る奴は少しだったので、見終えてしまうと又暇。
 お夜食(と言っていいのかな)として、サンドイッチかおにぎりが出て、到着の直前に軽い食事が出ました。これを忙しく食べてしまうと、漸くウィーン到着です。

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ハネムーン~出発まで

 こんばんは、チェスです。

 この記事を楽しみにお読みくださる方が如何程いらっしゃるのかわかりませんが、かなり更新に間が空いてしまい、申し訳ございませんでした。
 と、いうのも、4月20日(日)カミさんの実家のある山形市で、2回目のお披露目会~披露宴と言っても差し支えないと思うのですが、それが終わって帰京した翌日の4月21日から新婚旅行=ハネムーンという奴に11日間ほど出かけていたからなのです。

 行き先の決定や、出発までのドタバタを記録したのが、この第1稿です。

 行き先ですが、クロアチアと、後半の3日間はオーストリアのウィーンでした。

 皆さん、クロアチアと聞いて何を連想しますか?確かサッカーワールドカップのドイツ大会だったかな、日本のナショナルチームはクロアチアと対戦し、負けてしまったのですよね。
 鎌の形をしているクロアチアの位置的な説明はこれと言ってわかりやすい説明がないのですが、強いて言えばイタリア半島の東側、アドリア海を挟んでいます。かつてはユーゴスラヴィア連邦の一員でしたが、スロヴェニアに続いて独立しました。但し、その時にセルビア人保護のためという理由でユーゴスラヴィア連邦軍がクロアチアに侵攻し、各地で被害を受けました。

 さて、どうしてウチのカミさんは、クロアチアなる国に行ってみたいと思ったのか?

 本人に確認すると、何でも脚本家の橋田須賀子と女優の泉ピン子の2人連れがルポした紀行番組が非常に素晴らしかったためだそうです。
 小生のカミさんは、日程的なことは全部やってくれていますが、格安航空券のHISに頼んだ結果、クロアチアからイタリアのミラノへと渡る飛行機の便が取れずに、今回はイタリアを諦めた模様です。その代わりに、オーストリアのウィーンで3泊、というオマケになり、音楽の都ウィーンは大変に小生にとって憧れの地であったため、大いに感激したのですが、それは小生への気遣いという訳ではなくて、たまたま、だったようです。

 とにかく、この歳になるまで、パスポートを持っての海外旅行というものをしたことがなかった小生は、不安と期待とが相半ばする出発となりました。

 4月21日(月)早起きをした我々は、兎も角簡単に朝食を摂ると日暮里へと向かい、京成スカイライナーに乗り換えて成田国際空港へ急ぎました。現金の方は予めカミさんがある程度の日本円を「ユーロ」に両替しておいてくれました。

 所定の手順を踏んで、機上の人となることができました。オーストリア航空のウィーン行きのボーイング777は大変混雑していて、我々は2人とも通路側の席を取ることができませんでした。

 成田を飛び立ち、ウィーンまでは約12時間。

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