鉄道システム
こんばんは、チェスです。
JR西日本の福知山線での脱線事故は、鉄道事故としては未曾有の大事故になってしまいました。
本日(4月27日)段階で、100名近い方の死亡が確認されたのです。
運悪くあの電車に乗ってしまった、あるいは乗らざるを得なかった、その結果、全く唐突に命を奪われてしまった無念は、如何ばかりでありましょう。
果たして事故の原因はどんなことであったのか、これだけの人命が失われた大事故なのですから、徹底した究明がなされると思います。素人的には、原因は単純なものではなくて、いくつもの細かな出来事が複合的に重なってしまったように思われますが、これは専門家の調査により、明らかにされるでしょう。
仮に、安全対策の不徹底、不充分というものが明らかになり、また人的なミスが判明していけば、当然のことながら、JR西日本の鉄道会社としての責任は重大であり、この点において刑事責任が発生してくるでしょう。
ただ、こうした大事故が発生すると、マスコミや、それに顔を出す専門家と称する人の中に、相当に片寄ったと思われる意見を言う人が出てくるのです。
いわく、高速、効率化を重視するあまりに、軽量化に過ぎた車体を製造していたのではないか、いわく、過密なダイヤ編成は、1分の遅れも許されないことになり、これは乗務員に精神的な負担を強いていたのではないか、などなど。
これは、いささか行き過ぎだと思います。
明治に英国から技術輸入され、日本で初めて新橋-横浜間に鉄道が開業して以来このかた、日本という島国で、鉄道は、「高速・大量輸送システム」として高度の発展を遂げてきました。貨物輸送の面では、トラック輸送に大きくシェアを奪われ、大都市間高速旅客輸送においては航空機と熾烈な競争関係にはあるものの、今なお現代日本を支えている大動脈の一つが鉄道であることは、誰もが否定できない事実です。
大都市における人口の集中と、それによる地価の高騰は、住環境を職場から遥か遠方へと追いやりました。
こうした状況を解決するためには、高速大量輸送手段を実現する他はないのです。(行政や政治の無策も指弾されて然るべきとは思いますが)
そのためには、軽量でエネルギー効率の良い車両の開発や、時間単位で多くの列車を走らせるダイヤ編成は必然のものであり、それを否定するということは、日本の都市構造そのものを否定するに等しいと思います。
明日も小職は、JR東日本の2本の電車を乗り継いで会社に行きます。現在の鉄道システムがなければ、日本はたちまち麻痺してしまうことでしょう。
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