一日の長
こんばんは、チェスです。
「いちじつのちょう」と読みます。にちにちのちょう、と読んではいけません。
この言葉も、論語から来ているそうです。元は、1日だけ先に生まれた、つまり、ほんの少し年長である、という意味ですが、これが転じて、学業だとか、技能だとか何か比較の対象がある場合に、「少しだけど、優れている」という場合に「一日の長がある」などと使われるようになりました。
「少しだけ」ということで、謙遜の響きがあるのか?というと、それはあまりないみたいです。ですから自分で、「私は、将棋は彼にはまだ負けたことはないです。まぁ一日の長がありますね。」などといっても、これは自慢げに聞こえてしまいますから、言わない方がいいでしょう。
あくまで第三者が、AさんとBさんの何か技能などを比較して、論評する上での表現なんですね。
AさんとBさんは、結構いい勝負をするけれど、今のところは駒落ちでないとBさんの勝ち目は少ないと思いますね。さすがにAさんには、一日の長がありますでしょう。みたいな使い方をすると、ナルホド、と思ってしまうわけです。
現実問題として、たった一日先に生まれたからと言って、その人が一日遅れで生まれた人より、何か優れているか、というと、そんなことはないのです。
ですから、やっぱり比喩表現ですよね。
問題は、この表現が「ほんの少しの差」だから、その差は大したことはない、というように、ネガティヴに表現しようとしているのか、その逆に「ほんの少しの差ではあるが、しかし現時点においては明確に優れている」と、優位性をポジティヴに認めているのか、というあたりにあるのではないでしょうか。
どうも私は、用例としては、後者、つまり、見掛上はそれほど変わらないようにみえるけれど、やはり良く見るとこちらが優れている。きちんと差が生じている。というのが正しい用例なのではないかと感じています。
スポーツの試合などで、勝ち負けがはっきり出るなら明快でいいのですが、制限時間一杯、あるいは最終ラウンドまで闘っても勝負がつかなかった、などという時には、判定というもので決められます。
審判員が、どちらが優勢であったかを採点して決めるわけです。これなどは、一日の長、という感覚ではないでしょうか。
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