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とちぎ

 こんばんは、チェスです。

 県名と一致するにもかかわらず、県庁所在地ではない都市がある都道府県がいくつかございます。
 例えば、山梨県-山梨市。県庁所在地は、甲府市ですよね。
 ま、このケースの場合には、山梨市が戦後合併によって誕生した市である、という事情がございます。ですから(たぶん)山梨市に不満などはないでありましょう。

 しかし、県名と同じ市名にもかかわらず、県庁所在地でなく、山梨市の様に後から出来た市でもない、というケースがございます。

 それが、栃木市

 明治維新によって、廃藩置県が断行され、中央集権化が進められたのは、皆様ご案内の通りです。で、当初の県は統合化が進んで、栃木県も明治6年に統合によって現在の栃木県が成立しました。
 最初に県庁が置かれたのは、栃木市なんです。数年間は、栃木市が県庁所在地として頑張っておりました。

 栃木市は、江戸時代は江戸から日光への宿場町として、あるいは水運を利用した商業都市として栄えました。充分に県庁所在地としての資格を備えていたと言えるでしょう。
 しかし、明治17年、県庁所在地は宇都宮に移転してしまいます。
 これには色々な理由付けがされていますが、最も強い理由は、当時の三島県令(今の県知事でしょうな)が、自由民権運動が盛んになっていた栃木市をきらったため、と言われています。栃木市のホームページにも、こうした説明がされています。

 地理的な事で言えば、確かに栃木市は、栃木県の中心よりは、やや南西に片寄っています。
 しかし、県庁所在地がその県の中心に位置しなければならない、ということはないでしょう。

 時代の進展によって、交通の中心が水運から鉄道に移っていった、という説明も出来そうです。東京から東北への最初の鉄道は、宇都宮を通ることになりました。当時は中央志向が強かったでしょうから、鉄道から外れてしまった栃木市は分が悪いと言えそうです。
 しかし、お隣の群馬県はどうでしょうか。県庁所在地の前橋は、上信越線の分岐点となる高崎に移転しませんでした。まぁ、前橋と栃木は、その後両毛線という鉄道によって結ばれることになるのですが。

 結局、三島県令の個人的意向も、ひょっとすると強く働いたのかもしれません。
 宇都宮は東北本線のお陰で東京と密接に結びつき、新幹線が開通すると、最早東京からは通勤圏という近さになりました。一方の栃木市は、東武鉄道という直通電車はあるものの、JR線で言えば、小山乗り換え両毛線ということで、利便性の点でいかにも、という感じです。
 実は小学校時代に親友だった友人が、栃木市に引っ越して転校してしまい、転校後に遊びに行ったことがあるので、栃木市の雰囲気は知らないことはないのですが、県庁所在地の移転というのがどうもケチのつき始めな様に思えるほど、街としては沈滞ムードがありました。

 しかし、栃木市は中々良い街です。かつての水運による商都の面影を残す町並み、ちょっと訪ねるのに悪くありません。

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