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占い

 こんばんは、チェスです。

 世の中には、占いで生計をたてていらっしゃる方とか、それどころかすっかり有名人になって、マスコミへの露出が激しい方とかいらっしゃいますが、不確定な未来を何らかの手段をもってして知りたい、というのは人間誰しも思うことなので、需要がある、ということなのでしょう。

 例えば、自分にとって遠い未来のことを占ってもらう、というのは、なにやら微笑ましい気がします。小学生の頃のことですが、仲の良い友達の家に遊びに行った時のこと、そのお宅に、手相占いをするという占いの先生が来ていて(プロの占い師なのか、単なる占い好きのアマチュアなのかは知る由もありませんでした)手相を見てもらいました。見てもらったといっても、そう大したことは言われなかった様に思います。ああ、あなたは長生きしますよ、とか、そんな当たり障りのないことだったのではなかったかなぁ。しかし、子供に「長生きしますよ。」と言っても、子供はありがたいとは思わないですよね。それと、仮に事故や病気で早くに死んでしまっても、死人に口無しですから、「長生き」の占いが外れたことに文句を言われる心配はないし。

 ところが、世間で非常に流行っているのは、ごく短期の占いなんですね。「今日の運勢」とか「明日の○○座」のような。
 テレビの朝の情報番組でも毎日流れていますし、新聞にも大抵、運勢という欄がありますね。
 しかし、考えてみると、朝の時点で「今日の運勢は最悪。何をやってもうまくいかないでしょう。家でじっとしているのが得策です。」なんていう占いが出たとしても、そいつを真に受けて、「大変だ、じゃ、今日は会社をお休みして、大人しくしていよう。」という訳にはいかないのが、この世の中です。
 でもって、そのような最悪の占いが出たとしても、気が付くといつもとかわらぬ一日が終わろうとしているのです。

 占いとは対極的な、因果律、という言葉があります。因、つまり、原因ですね。果、つまり結果です。この世の出来事は、全て原因があって、結果がある、という法則に支配されているということです。そうであるならば、不確定な未来を何かで占う、というのは、どうにも不合理極まりないことになってしまいます。
 ツイている、とかツイていない、という不確定な流れの所為にするのではなくて、うまくいかないのは自分の努力が足りないため、とか、こういう原因があるから、という様に、考えるのが、因果律に基づく思考法ですね。合理的であり、これできっちりと割り切れればいいのですが。

 なのにもかかわらず、占いがテレビにも新聞にも、この頃はインターネットのメールマガジンでも登場するのは、「何か自分(あるいは人間)にはどうにもならない力が働いていて、その流れを知ると役に立つ」という他人任せの気持ちがどこかにあるという人が、非常に多いということなのかもしれません。
 いつぞやも書きましたが、生まれた日によって、黄道12星座に割り振って占いをしている、西洋占星術というのは、地球の歳差を無視している困った占いなのですが、テレビで「今日のかに座は・・」とくると、つい耳を傾けてしまうのは、やはり小職も弱い人間なんでしょうな。
 もっとも、占いというのは、良い占いだけが記憶に残り、悪い占いだと忘れてしまう、都合の良いものなんですけれどね。

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