神奈川中央交通のバスに乗って
こんばんは、チェスです。
文化の日、母校の大学に約1日張り付いている用事がありまして、久しぶりに行ってきました。読売ジャイアンツの原「前」監督の母校でもあります。
行きは、かつて通学していたように、小田急で行きました。最寄駅であった「大根」は何時の間にやら「○○大学前」と名称を変えていました。「前」というには距離がありますけれども。
で、帰りです。帰りは予定を変更して、東海道線の平塚駅から帰ることにしました。平塚駅に行くには、神奈川中央交通=通称「神奈中」のバスに乗らねばなりません。暫し待つうちに、バス停には長い列ができていました。やがて神奈中のバスがやってきましたが、観光バスの様な座席を持ったバスでした。
考えてみると小職は、在学中一度もこのルートで帰宅したことはありません。ですから、どんなルートを通って平塚駅に行くのか、興味がありました。バスはしばらくの間、金目川に沿って走り、やがて金目川を渡りますが、その時に西を見ると、富士山が美しくシルエットになって稜線を描いておりました。
さて、途中のバス停に「金目駅」というのがありました。ええっ?駅ですか?こんなところに鉄道が通っているとは聞いたことがありません。平塚市の地図を何とか頭の中に思い描いて、南のほうに東海道本線、その北の方に東海道新幹線あれど平塚に駅はなく、小田急は平塚市を通っていない(筈)。
北に向かう路線は、お隣の茅ヶ崎から相模線が出ておりますが、あれは確か相模川の東側を北に向かっている筈。平塚市と相模線は、まるっきり無関係(のはず)。と思いましたが、自信がなくなり、帰宅後に地図を眺めてみました。確かに相模線は、相模川の東側を北に向かっており、平塚市と関係ありませんでした。
ううーむ。ひょっとして、「神奈川中央交通」は、今でこそバスとタクシーの会社ですけれど、昔は2両連結とかのミニ鉄道を走らせていて、その駅の名残があってバス停に名前になっているのかしらん、と考えて、神奈川中央交通のホームページを閲覧していましたが、そんな歴史はなさそうでした。
わからなくなってしまいました。
ま、元々、「駅」という名称には、交通の要衝というか、運輸を司るところという意味があると言います。鉄道のテの字もなかった頃の日本では、確か「駅」というのは輸送のための馬を繋いでおくための厩舎のあるところを言っていたんじゃなかったかなぁ、とぼんやり考えました。
してみれば、神奈川中央交通のバス路線の中で、定期券や回数券を売る売店があるので、それを駅と言っているのか、とも思います。実際にどんな場所だったか、というと、もう暗くなっていて、殆ど覚えがありません。でもそんな場所なら、「○○営業所」とかいう方が自然な気がします。
そこまで考えて、思い至ったことがあります。「連携輸送」という奴です。これは、現在のJRグループが国鉄であったころ、地方のバス会社の、ある停留所でも、国鉄の切符を買うことができたというものです。鉄道に連絡するので、駅の機能があるのです。今はたぶんこんなことはできないでしょう。
連携輸送の名残、さぁどうでしょうか。別の解釈というか説明があるかもしれませんが、どなたかご教示下されば、大変幸いです。
« ブラインド | トップページ | 同窓会やっと終わる »
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 東根市の観光資源(2025.04.17)
- 庄内地方(2025.03.21)
- 大江町(2025.01.04)
- 那須塩原(2024.12.20)
- 山形市 中心市街地の問題(2024.12.16)
コメント
« ブラインド | トップページ | 同窓会やっと終わる »
チェスさん、お疲れ様でした。「金目駅」は連携輸送の名残のようです。詳細は下記に出ています。ご参考までに。
http://www1.odn.ne.jp/~caw99100/kana/image/kaname-toyoda.htm
さて、「東海大学前」駅ですが、この駅は大学の働きかけによって駅名変更したのでしょうかね?小田急は「成城学園前」と「玉川学園前」という2つの駅は学園が誘致した駅ですね。成城学園前は、「今後ずっと急行電車は止める」という念書まであったようです。ただし小田急は今度のダイヤ改正で「快速急行」というものをつくり、「成城学園前」は通過になります。「急行」ではないので、念書違反はしていないのですね。
それと、「~大学(学園)前」というのは一般的ですが、東急は「前」をつけません。東急は都立大学とか学芸大学(この2つは今、駅そばに大学はない)・駒沢大学などです。ただし、駒沢大学は駅名で、大学では「駒澤大学」っていっています。
投稿: 水泳中毒患者 | 2004.11.04 00:20