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ブックカバー

 こんばんは、チェスです。

 2004年の我が日本への台風上陸は、本日の22号をもって9コとなり、最多個数の記録更新ということになったそうです。大事なハイビスカスの鉢がひっくり返りましたが、小職の家では大した被害はありませんでした。

 さて、本屋で雑誌以外の本を買いますと、「カバーをかけますか?」と聞かれ(本屋によっては黙って)頷くか、肯定の返事をすると、その多くは何とも粗悪な紙質の、またそのデザインもあったものじゃないブックカバーがかけられます。

 本作りに携わっておられる方に伺いますと、本の装丁というものは中身と同様に大事なもので、表紙は、裏表紙は、背表紙は、これらのデザインや題字、絵や写真を使う場合にはどのようなものを、これらの紙はどのようなものを使うか、とそれこそ本の中身をうまく表現し、読者に手に取ってもらうために、最大限の努力を傾注するものだそうです。
 そうであるならば、せっかくの縁で我が本棚に並ぶことになった書物、これに無粋なカバーをかけてしまうのは如何なものかとの疑問を呈するのは、当然というべきでありましょう。

 といいつつも、我が本棚を眺めると、ざっと見てその6~7割くらいの本に「無粋な」紙のカバーがかかったままになっております。

 そんなエラそうなことを言うなら、本屋で本を買う時に、「カバーは要らない」と言えばいいではないか?と言われるでありましょう。
 ごもっともであります。
 どうして「カバーは要らない」と言えないのか。
 1つには、小職は非常にケチなので、本を古本屋に売り飛ばす時に、少しでも外傷が少ない、美麗な状態で売ることで、1円でも高く売りたい、という意識が働いているだろうということ。
 2つには、通勤の行き帰りにおいて電車で広げる本の中身を、周囲の人間に知られたくない、とか考えている(のではないか)ということ。
 3つには、これはめったにないのですが、時々デザイン、センス、紙質の良いカバーをかけてくれる書店があって、だから初めて入った書店では、「どんなカバーをかけてくれるかな?」と期待してしまうこと。

 自分で自分が挙げた理由に、みんな反論してしまうのですが、1番目は、本を丁寧に扱えば、そんなに痛むものではありません。
 2番目は、周囲の人に見られて恥ずかしい様な本は、こっそり読めばいいでしょう。
 3番目は、1回入ってカバーがわかれば、2度目からは要らない書店がほとんどですよね。

 ということで、些か説得力の薄い「ブックカバー必要論」でしたので、極力「カバーは要らない」と言うようにしたいものです。省資源にもなるしね。

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