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ペットの法要

 1月に死んだ、ウチのチェス犬は、両国の回向院というお寺に眠っていますが、本日土曜日に法要があるというので、卒塔婆を申し込んでおき、指定の時間に出掛けました。

 行ってみると、凄い人です。

 午前中の部だけでも、中に人が入りきれないので、入れ替え2回制です。午後も同じ様に入れ替えで行なわれるのでしょう。
 犬猫に代表されるペット=最近は、コンパニオン・アニマルという名前もありますが、今一つ普及しませんようです=は、やはり家族の一員という存在なのだ、と改めて認識した次第です。

 ところで、回向院は「諸宗山 回向院」という仏教のお寺なのですが、ペットも人間同様に、お経を上げていただけるわけですが、そうしてみると仏教というのは相当に懐の深い宗教ですよね。
 かなり昔に聞いた話ですが、欧米の方々は、ペットが死んでしまっても、日本人の様に宗教に則った葬式はしないのだそうです。これは、キリスト教の場合、「魂があるのは、人間だけであって、他の動物には魂はない」という教義だから、動物のお葬式はナンセンスなのだそうです。
 どちらがどう、ということは、小職は宗教学者ではないので、議論の対象にできませんが、人間の葬式にしたところで、これも結局は、生きている(残された)人間のためのものである、と思うのです。
「去る者、日々に疎し」という言葉がありますが、どんなに愛する人でも、必ず死別という別れがあります。残された人の悲しみは、いずれ時間が解決してくれるにしても、当座はなにかにすがりたいのが人間です。宗教は、諸派ありますが、それぞれのやり方で死んだ人を弔うのは、残された人間が当座すがるための拠り所とは考えられないでしょうか。
 で、犬猫にしても、家族同様に時間を共有してきたからには、適当な方法で納得していくのが残された飼い主の割り切り方であって、それが仏教の法要という形式であれば、それでもいいと思います。
 欧米の方々は、では犬猫が死んだ場合に、どの様に納得するのか、聞いてみたい気もします。
 うーん、元々「魂がない」という存在なので、ペットロスということはないのかな。

 これからの日本は、益々少子高齢化社会になっていくでしょう。子供はいても1人で、成人すれば独立していき、残された両親は、犬猫を我が子同然に可愛がるでしょう。しかし、彼らの寿命は短い。ペット葬祭事業は、競争が激しくなると同時にマーケットが大きくなっていくでしょう。

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