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隅田川

 こんばんは、チェスです。

 小職が住んでいる台東区と、東側のお隣の墨田区とは、隅田川によって隔てられています。30年位前、小職が小学生の頃は、隅田川というと、ドブ臭い、近寄るのはご免蒙りたい川でした。
 確か当時も、浅草から東京港の日の出桟橋、浜離宮を往復する「水上バス」が運行されていたと思いますが、到底乗りたいと思える船ではありませんでした。

 しかし、さすがにこれではいかん、と東京都が考えたのか、若しくは東京と言えども下水道の普及が遅れていた地域があり、そうした地域にも下水道工事を推進して、下水道普及率を高め、そうすることによって生活排水の垂れ流しを防止し、隅田川の水質浄化に努力していきました。流域にある工場に対しても、水質汚濁防止のために条例を作ったり、規制を強化したりと取り組んできたわけです。

 こうしたことが序々に実を結び、隅田川からドブの臭いが薄まってきました。
 隅田川に魚が戻ってきて、カモメが舞う様になりました。
 高い護岸は、人を川に寄せ付けませんでしたが、「リバーサイドテラス」という川の側を遊歩道、公園のように整備する工事も始められ、川の側を散歩することも出来る様になりました。ここから魚釣りをしている人もいます。(昔の隅田川を知っているチェスは、たとえ何か釣れても、到底食べる気にはなれませんが)
 ここまで川を回復させてきた行政の努力の結果は、素直に評価をしたいと思います。

 ところで、隅田川という名前は、北区赤羽の岩淵水門から、東京港の河口までの川に対する名前です。
 それより上流は、荒川という名前になります。
 江戸時代の隅田川は、大川とも呼ばれ、しばしば洪水を起こして江戸の町を水浸しにしました。明治になり、江戸は東京と名前を変え、名実ともに日本の首都となりました。そうなりますと、本格的に洪水の対策に取り組まねばなりません。
 抜本的な対策は、流れるパイプを大きくして、流量に余裕を持たせればよいのです。
 このため、隅田川の東側に、新たに人口の放水路を掘削する、という大工事が始められました。こうして出来あがったのが、現在の「荒川放水路」です。当時としては非常な難工事で、たくさんの犠牲者が出たそうです。
 しかし、この放水路の完成は東京にとって大きく、以来隅田川が洪水を起こしたことはありません。明治期の偉大な土木工事であったと言うべきでしょう。東京都民は、荒川放水路に感謝しなくてはいけません。

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