秋葉原駅前昨今
秋葉原と言えば、今はパソコンの街、少し前は電気街、というイメージで捉えられております。が、ここにはかつて東京都の青果市場「神田市場」がありました。果物や野菜の段ボール箱が山積みになり、台車や軽トラックが行き交い、帽子に自動車のナンバープレートみたいな札をくっつけた親父さんが大声を張り上げておりました。
しかしながら、市場は年々手狭となり、機能的にも苦しくなってきたため、東京都は神田市場を移転させる計画を立てました。広い土地が手当できるのは、都心から遠く離れた大田区でしたが、移転計画は着々と進み、大田市場がオープンし、多くの業者が移転しました。
ところが、神田市場の移転に反対する業者があり、大田に移転後も、残った建物に居座って卸売り業務を続けておりました。時たまテレビの取材に映り、「神田市場を守れ~」と気勢を上げておりました。なんといっても神田は東京の中心であり、東京各地への利便性があります。リヤカーを引いて野菜を仕入れに来ていた八百屋さんは、遠い大田市場には行けません。
この辺は東京都も考えており、「共同配送システム」などで遠くなってしまった八百屋さんに対応するようにしていました。
そんなこんなで、かなり長い間、残留組の神田営業が続いていた様ですが、次々に市場の巨大な建物が取り壊されるに至って、ついに陥落し、かつての神田市場は一面の平坦地となりました。
これらの土地は、しばらくの間駐車場や「単なる広場」、人が集まることから、献血を行う血液センターの建物などに使用されておりました。秋葉原という、巨大商業地区の駅前に、東京では広大と言ってよい広場が広がっているのは、なかなかオシャレな眺めと言えました。
単なる広場には、スケボーを抱えた若者がやってきて、障害物をかわしたりジャンプ台からジャンプしたりと遊んでいました。コーナーにはバスケットボールのゴールが立てられており、これはこれで良く利用されていたみたいです。
そうこうしているうちに、秋葉原は常盤新線のターミナル駅になる、という噂がでてきました。噂は本物となり、常盤新線は、つくばエキスプレスという名前で呼ばれるようになりました。駅を作る土地は東京都が十分持っていましたが、線路を引く土地を買収するのは大変、ということで、都心部は地下鉄になりました。広大な平地の一部を使って、つくばエキスプレスのターミナル駅の工事が始まりました。秋葉原駅の改造工事もスタートしました。
なお、まだまだ土地が余っていました。
東京都は、何時まで土地を遊ばせておくのだろうか、と心配していたところ、心配する程のこともなく、従来の平らな駐車場が、4層程の駐車場ビルになりました。神田市場だった片隅には、見る見る高い40階建てのマンションが作られ、駅寄りにも巨大なその名も「ダイビル」が立ちはじめ、マンションとダイビルの中間には、更に巨大な「ITセンター」が最後に工事を始めました。
あと2年もすれば、秋葉原駅前はすっかり変わることでしょう。
ところで、通常秋葉原電気街として認識されている区画は、千代田区外神田という地名です。
秋葉原という地名は無いのか、と言えば、実はあります。
小職の住んでいる台東区の方に小さな「秋葉原」という町名を見つけることができます。
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コメント
秋葉原といえば、嫌な思い出があります。私が大学受験に失敗し、浪人するために上京した時のことです。ラジカセが欲しくて秋葉原へ行った時のことです。電気製品を買うなら、秋葉原へとのことで、私も。しかし田舎者の世間知らずだったのでしょうね。駅前でうろうろしていると、変なおじさんが「何を探しているの?」と聞くので、「ラジカセ」というと、「安くしておくからおいで」とのこと。何もわからずそのままついていきました。そして、小さな店へ。「これ、いいもので安くするよ」といわれ、何となくそれにしました。でも変だったんです。「保証書は?」聞くと、説明書にあるサービス窓口を指して、「ここに直接連絡して」とのことでした。そのまま予備校の寮に帰りましたが、寮母さんに聞くと「それは、だまされたのね」ということでした。「保証書もくれないところなんて、質流れか、倒産会社の在庫処分品」とのことでした。それは当たっていて、寮のそばの大型スーパーで、秋葉原で買った値段よりもずっと安く同じものが売っていました。
投稿: 水泳中毒患者 | 2004.04.06 03:45